南相馬小高区は、今年の7月に避難指示が解除されました。小高区に戻って住んでいる人は、震災前いた住民1万人中、約500名ほどだそうです。戻ってきた人の気持ちはどうかと小高区で働く友人に聞くと、戻ると覚悟を決めているので、明るく活動的で絶望はしていないそうです。小さくとも自分の町を取り戻す役割を持って、住んでいると思ます。
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避難指示解除の日、JRが開通し、高校生の女の子が電車に乗っていたそうで、少ないけど子供もゼロではない。町には改修した住宅はいくつか見られ、地震で崩壊した家は撤去され、少なくとも放射性廃棄物の入ったプレコンパックと言われる黒い袋は、住宅地からは消えました。
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南相馬にあっても、小高は特別な問題で、一部の人だけの問題になっているかもしれないのですが、それでも住民たちは悲観的にならずマイペースで進んでいくと思っています。自分はそれを応援したいと思っています。
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隣の原町区や相馬などに、避難して家を建てた人はたくさんいて、お盆や正月には小高に帰るという人もたくさんいます。小高は小さいけど、人間関係がしっかりしていて、いい町だったと思います。離れていても小高の人にとって、故郷は小高で、故郷を大事に思っているなぁと感じます。
浪江のお友達もいて、町に入ったのですが、そちらはもっと厳しい状態で、町を見る限り、小高よりも3年以上は遅れている感じです。来年春には避難指示は解除される予定ですが、避難中の住民の意識をつないでいくことができるか不安になりました。
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今、自分は避難区域から離れて暮らしていて、その問題を当事者として、内から語ることができないジレンマに悩まされます。避難指示のあったエリアは、2011年は原発から30キロでしたが、国は、帰還困難区域と言われる高線量の所以外は除染をして避難指示を解除させたいようです。早く終息したことにしたいのでしょう。正直言えば、自分もこの問題から離れ、ふつうに暮らしたいという気持ちもあるのです。しかし、人のいなくなった町に行く度に、怒りや悲しみの感情が出て、また向き合うことになるのでした。浪江も小高も、一度、今の状況を見てもらった方が伝わると思います。
今は子どもがいない小高小も、小高区の小学校が合併し、来年から再開する予定です。子どもが戻れば、未来があるように感じます。ちなみに小高駅周辺の町は、線量的には、0.1〜0.2μシーベルトと、それほど高くはありません。