外された幻想

  • 2016.02.28 Sunday
  • 12:58

 双葉町にあった「原子力、明るい未来のエネルギー」の文字が外された看板。人がいない町で、看板の文字が落下する危険があったと思えない。危険だったら、ゲートごと外すべき。原子力発電を誘致して推し進めた人。結果、子孫の繁栄はなくなってしまった。再び経済を優先するために原子力発電を動かす国。再開させようとする地元の首長。再び事故は起きるだろうが、せめて福島第二だけは動かさないで欲しい。


悲鳴

  • 2016.02.27 Saturday
  • 05:33

 東京から来たボランティア団体を案内して、南相馬から浪江町へ入る。バリケードで閉ざされた家、除染で出た廃棄物が入れられた黒い袋、人にいない町に、写真を撮る気持ちになれない。ガイガーカウンターを持ち込んできたので、警告音に自分の神経が持たない。この悲しい状況を、5年もの間、伝え続けてきたけれど、この障がいを受け入れることは精神的苦痛が伴う。今の状況の私が、避難しているその当事者であるとは言えず、忘れたいし、前を向いていきたいという感情が生じる。だが、この現実を知ってほしいという使命感はある。半日の案内であったが、疲れが出て心も体も悲鳴をあげダウンしてしまった。


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    女の子と男の子の話

    • 2016.02.26 Friday
    • 23:13



     2011年、ひとりの女の子が、長い間、お布団の国に住んでいて、ギターを持ったひとりの男の子がやってきて、ふるさとの曲を歌ってくれた。女の子ははずかしそうに、男の子をみていたが、女の子の母親は涙を流していた。それからしばらくして、女の子が元気になって、お布団の国から出てきた時、女の子は、男の子が歌ってくれたその曲を何度も何度も歌っいた。そして、女の子が、男の子のために歌う時がやってきた。2016年の3月6日、男の子は女の子にためにやってきて、その曲を相馬で女の子といっしょに歌うことになるだろう。





    お話は、ドキュメンタリーに納められている。震災にあった本当にあったお話。


    IMG_1985.JPG


    音楽会に向けて、えんどう豆、練習中。

    地方紙と全国紙

    • 2016.02.25 Thursday
    • 21:34
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     東京電力がメルトダウンをした原子炉の情報を出さなかったニュースが流れた。震災から5年経ったこのタイミングでの報道。80歳の祖母でさえ怒りで、感情がおさえられない。職員の間でも話題になった。メルトダウンという言葉を使わなかったのは、パニックを起こさないためとも考えられるが、情報をストップしたのは東電ばかりでなく、実は政府に情報は上がっていて、避難にかかる賠償も考慮して、判断を先送り?過小評価する方向にしたとも考えられる。

     震災後は、新聞やテレビなどの報道も、バイアスがかかっているのがあたりまえと思うようになった。この話題は、福島の地方紙ではトップだが、なぜか全国紙では一面に載っていない。ずっと読んでいた新聞であるが、読むのは止めるかと思ってしまう。裏で力が動いているのか、編集部の価値観がこれなのか。また各地の原発で事故が起きた時、命を守る情報は流されなかったり、判断を出すまでにタイムラグが生じ、危険な状態になることを意味するが、やはりこの国は経済の方が大事なのですね。

    納品

    • 2016.02.24 Wednesday
    • 22:29
    IMG_1979.JPG

     コーヒータイムの橋本さんが、つなりのボールペンの納品にファクトリーにやってきた。ボールペンの糸巻きの仕事は、大事な収入源になっている。浪江町から二本松市に避難していて、作業所は二本松にあるが、南相馬市に自宅を建てた。震災から5年、二重生活が続いている。南相馬の作業所は落ち着きを取り戻しつつあるが、原発から20キロ圏内の作業所は、これからが本番だ。新しい場所を借り、作業所をパワーアップする予定で、プロジェクトが進んでいる。家族で休養に行くそうで、うらやましなぁ〜。




    記念写真

    • 2016.02.23 Tuesday
    • 06:47

     南相馬市小高区の避難解除が、今年の4月に解除される予定で、ようやく住めるはずであったが、一部の住民は除染が不十分であるとして、避難解除が時期尚早であると反対している。少しでも早く我が家に帰り、生活を立ち直したい人もいて意見は分かれる。賠償の事もあるので、問題は複雑になり、小高区以外の南相馬の市民は、冷ややかに見ている人も方が多いかもしれない。震災から5年が経過しても、まだこんな状態が続いている。

     小高区で陶芸をしていた羽下さんの窯開きの時の写真が出てきた。羽下さんは茨城に引っ越し、駅前で旅館を開いていた女将は、震災後に旅館をリフォームして避難指示の解除を待っている。引き裂かれてしまった仲間たち。戻る人、戻らない人、それぞれの道を歩んでいるが、意見が違う人との交流は少なくなり、コミュにティは破壊されてしまった。

    もくもくのチラシ

    • 2016.02.23 Tuesday
    • 01:00
    チラシ?A.jpg

     利用者の募集をするため、取り急ぎ、工房もくもくのチラシを作成しました。この頃、絵を描いていないので億劫になってしまいます。上が表面、下が裏面です。利用に関する問い合わせが、ボチボチ来ています。

    チラシB.jpg

    なんだかな〜

    • 2016.02.22 Monday
    • 23:28

    カリタス原町ベースから、えんどう豆にボランティアに来てくれるMARIさん。いつも、ありがとうございます。

      さて、新しい作業所で働く職員のために求職をするが、看護師や老人介護の求人も多かった。看護師よりかなり安いのが介護で、さらに安いの障がい者福祉、更に安いのは縫製だったりする。建築系の募集は多くて高止まり。除染の仕事は専門性が問われず、高い給料になっていて、福祉の仕事を辞めて現場で働く人も多い。話題の保育士の給料は安く、正規でなくパートが多い。人にお金をかけない日本に未来が心配になる。南相馬では、人材不足からベッドがあっても施設に入れない状況になっている。国は介護報酬をカットしようとしていて、医療、教育に比べても、福祉の仕事は随分と専門性を低く見られていることがわかる。なんだかな〜。


     工房もくもくの階段が急勾配なので、手すりをつけたが、それでも怖くて、腰が引き気味。心配でござる。


    開業前の休日出勤

    • 2016.02.21 Sunday
    • 22:41
    IMG_1964.JPG

     NPOの会計は、税理士や会計士に頼むには予算がなくて、WEB会計というクラウド型のソフトを使うことにした。場所を問わず、会計システムが使える。前の職場は出納帳と領収書だけのまとめで、本部にお願い状態であったが、会計そのものを自分で行なう必要があり、苦手な分野だ。NPOの設立に伴い、放課後デイサービスと就労B型と音楽事業の3本立てで行ない、就労Bは福祉サービスと利用者の授産会計に分けて行う必要がある。嫁さんに手伝ってもらい、休日を利用して入力中。勘定項目がわかんないなぁ。 

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     親戚より、電気温水機を購入するための寄付を頂いた。有り難いっす。


    樹のような

    • 2016.02.19 Friday
    • 07:01



     電話で聞くと、彼のやりたい事はやれず、ひどく落ち込んでいた。組織のヒエラルキーの中で中管理職はストレスがたまるは常ですが、この業界、意外とブラックなのでしょうか? 職員がしあわせになろうと考えると、単位を大きくしない方で裁量権を与え、目の届く範囲で小集団で運営するのがいいなじゃないかと思う。ルールができて縛られ、創造性が消えていき煮詰まる姿をたくさん見てきた。答えはみんなの中にあるのになぁ。

     新しいの法人は、大きい施設にしないで、小さな施設をたくさん作る。偉い人はいらないので、小さな集団でリーダーをたくさん作る。スタッフのHaruさんと工房もくもくのイメージを膨らます。「所長、ピラミッドの形のもくもく働くのではなく、大きな樹がもくもく育つイメージですよ!」とHaruさん。小さな集団を根元で支えるのが法人。福祉の理念は、みんな自分の中に持っているような気がする。

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