未来の鍵

  • 2015.04.30 Thursday
  • 23:25
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 僕らの島で起きたことで、僕らは傷ついて、僕らは見えなくなって、
 君が島にやってきて、君が隣にいてくれて、君は話をきいてくれた。

 遠くで見ている人は、近くで見ない人よりも、いつも近くにいてくれて、
 僕らの未来を探してる。島の未来を信じてる。

 黒い夢の残骸が、心の光を消さぬように、僕らは扉の鍵を探してる。
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    二輪の通行OK?

    • 2015.04.29 Wednesday
    • 07:04


     「セデッテかしま」の売り上げは順調で、既にTシャツが12枚の売り上げ。うちの爺婆が偵察に行くと、お客さんが、くるみちゃんTシャツの話をしていたそうで、人気は根強い。ただバッジがレジにあるので、かえって買いづらいらしい。ゴールデンウイークとあって、お客さんで大盛況との事であった。

     あたらしく相馬で、障がい者を支援するNPOを立ち上げるための書類を、福島県庁に相談に行く。天気がいいので、バイクで飯館村を通ることにしたが、車で見る景色よりリアルで、住民がいない除染している場所を通ると、本当に安全なのか?とか、住民や除染の仕事をしている人はどんな気持ちなのか?とか、美しい故郷の景色が壊された意味だとか、いろいろと考えてしまう。言葉で伝えることは困難なので、来て見てもらうのが一番かな。

     さて、国道6号線はバイクは通れないが、なぜか常磐道(高速)は規制がないらしく、二輪も走っていると聞いた。なんか国の対応は中途半端な気がするなぁ。ダメならダメで、きちんとして欲しいなぁ。バイク乗りに聞くと、車も外気を吸い込むので構造的には大差ないよと言っておりましたが.....。

    あなたのもとへ

    • 2015.04.28 Tuesday
    • 14:02
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     南相馬の福祉作業所が作った授産製品を紹介する商品カタログができました。コピーも自分たちで考えて 、市の福祉課がまとめてくれました。随分と時間がかかってしまいましたが、何とか年度内に出来て良かったです。というもの、係長や編集でがんばってくれた職員が異動してギリギリだったと思います。担当者がコロコロ変わるというのは、市の福祉にとっても効率が悪くなるような気がしますが、公務員はそういうものなのでしょうか。



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    アラバキ02

    • 2015.04.26 Sunday
    • 23:41



     彼は車を持っていて、震災前、車椅子の彼が、動けない友達のことを送迎することもあったそうだが、その友達は津波で流されたと語った。田舎町だから、福祉サービスがないとはいえ、自分の住んでいる地域がこんな状況だったとは....。自分が働いていた「えんどう豆」は手のひらの福祉だってことなんだなぁと思った。たくさんの事が、見なかったことにされて、余計な仕事になってるんだろうなと想像できる。当たり前の生活ができないこともそうだけど、震災で逃げれないで亡くなった人がいることも知ってもらうべきことだよ。

     彼は音楽つながりの友達がたくさんいて、今年も東京から来た友達が車椅子を押してくれた。仲間がいるということが、どれだけ心強いか。 フェスの食事は、飲食ブースにで買う事になるが、結構な値段である。焼きそばを買ってきたが、彼は手が不自由でうまく食べれなくて、自分の配慮が足りなかったなぁと思った。だから串ものが多いと言う。それで、牛タンの串を買ってきたが、ほとんどビーフジャキーのように固くなっていて、みんなでため息。家から非常用に持ってきた、2つの手抜きおこわ(おにぎり)を4人で分けて食べた。すごく、あったかな気持ちになったよ。

     2DAYSなので、彼の宿泊は仙台のホテル。彼の泊まれるホテルは数少なくて、友達のCD屋さんが手配してくれた。私のアテンドも、CD屋さんの配慮の一つだ。霜が降りる夜に、自宅までの60キロをスーパーカブで帰るのは寒かったけど、心は温かで、次の日もアラバキに戻ってきました。

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      アラバキ01

      • 2015.04.25 Saturday
      • 22:27

       アラバキロックフェスに行ってきました。イベントを企画しているSさんが、相馬に在住の車椅子のEさんを招待してくれて、急遽、私も同伴することになりました。彼はマイカー。駐車場がないので、私はカブで行くことにしました。アラバキ(荒吐)は、15回を迎える大きな野外イベントで、100組以上のアーティストが参加し7つのステージで演奏する4万8千人の若者?が集まるのです。チケットはSOLDOUT。震災後、何度か行く機会があったのですが、今回は2日間、車椅子の彼と行くことで、いろいろ考えさせられるものがありました。

       会場は特設のステージで、すごい人の中をかき分けて進むと言ったイメージです。一番遠い会場は、端から端まで歩いて30分かかるのですが、目当てのアーテストとのステージのはしごをするのです。何と彼はアテンドなしで何度も来ていて、今年は私が側にいましたが、「すいません!車椅子を押してもらえませんか?」と廻りの人に介助をもらいながらも、アーティストのステージに向かうのです。 車椅子に乗っていると視点が低くて、ほとんどの場合、人の背中しか見えず残念な場合が多い。しかし、スタッフの配慮でステージの袖で見せてもらえる場面もありました。

       車椅子は介助者用のブレーキがないもので、下り坂がきついと知りました。会場は舗装がして移動は困らなかったのですが、バンプと呼ばれる自動車のスピードを押さえる玉石を道路に敷き詰めた設備は車椅子には障害でした。身体障害者向けのトイレも数カ所、設置されていましたが、障がいのない女の人が利用していて、その人に気を使ってしばらく待つことがありました。でも主催者も配慮しているのがわかるし、フェスに来る人のほとんどは若くて、マナーもしっかりしている人が多いように見受けられました。

       「車椅子の人が増えたけど、中途障害の人が多いかなぁ」と言っていました。彼は地元の相馬から離れた所の養護学校の寮で暮らしてきたが、ロックミュージックやアート、モータースポーツが好き。一度は会社に就職しましたが、今はしていません。本当に好きだから、フェスに来るんですが、ここに来るだけでもかなりのハードルを乗り越えてきたのがわかりました。以前は、アラバキには車椅子の人はほとんどいなかったそうですが、彼のように外に出るようになたからこそ、会場も配慮され他の人も理解できるようになるのかもしれません。フェスの会場もそうですが、自分の住んでいる町にこそ、人が生きる環境の整備と支援の仕組みが必要ですよね。
       

       

      被災地からの声(富岡町)

      • 2015.04.24 Friday
      • 18:24

       「被災地の声 」というNHKのインタビュー番組で、福島県の富岡町の住民の声を取り上げていました。原発事故で避難を余儀なくされた人たちが、夜ノ森公園の桜を見るため全国の避難先から集まります。この内容こそ、全国の人に知ってもらう内容なのではないでしょうか?

       なぜ、全国で放送しないのか?できないか? 編集しすぎないのがリアルです。本当に避難者の声を知ってほしい。仙台放送局の津田アナウンサーが、住民に寄り添う姿。番組を製作しているスタッフは、社員としての限界はあるでしょうが、人間として自分のできることをしている感じがします。ホームページがありましたので紹介します。それでも原発はを動かそうとする国って何? 基本的人権を無視して、金儲けを優先していいのでしょうか?

      4月23日放送「福島県 富岡町」<<<(NHK仙台放送局のHP)

      動画<<<(youtube)は、この放送の前に放送されたものがありました。


      セデッテ納品2

      • 2015.04.24 Friday
      • 06:11
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       先週に引き続き、鹿島区にある常磐道のサービスエリアの物産館「セデッテかしま」に納品。POPと商品のレイアウト中。バッジはカウンターの陳列棚のいい所を頂きました。Tシャツは目立ってお店を明るくしています。バーコードのシール貼りが結構、大変ですが、がんばっております。

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      寸法は計って、展示する箱を作ってきました。

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       Tシャツも展示。説明書きもラミネートしてきました。

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       デッキの休憩コーナーには、山賊焼き、コーヒー、アイスなどのテイクアウトのお店が並びます。

      過去と未来

      • 2015.04.23 Thursday
      • 00:01
       えんどう豆を辞めることになり、相馬の仲間と相馬で新しい拠点を作ることにしました。それは、私が障がいを持つ子の親であり、えんどう豆に入ったのもその延長にあるからです。 長女は、ダウン症をもって生まれ、障がいについて面とむかって考えざろうえなくなりました。親の会を作ることになるのですが、出生のショックから歩みだすまで、以下、当時の気持ちを書いたものです。

       
       初めての子どもが生まれて間もなく、わが子がダウン症であるようだと告げられました。
どんな障害なのか、どのように育っていくのかわからず、喜びよりも不安の方がいっぱいになり、大きなショックで、落ち込んでしまいました。
       

本などの情報をむさぼるように、読みあさりましたが、どんなものかイメージできません。
また家族や友達などに相談し、励ましの言葉やアドバイスを受けても、不安で、なかなか元気は出ませんでした。


       しかし、障害があろうがなかろうがわが子は可愛いものです。
子どもと接しているうちに、日増しに愛情の方がずっと強くなっていきました。
それが治療で直らないものであり、事実を認めて、子どもと付き合っていくしかないと思いました。
誰かが何を言おうとも、私はこの子どもを授かったことを感謝こそすれ、不幸とは決して思えないのです。



       子供がダウン症と告げられてしばらくして、福島にダウン症の親の会があることを教えてもらい、入会することになりました。親の会に入って思うことは、親同士が話すことで、いろんな人の考え方や接し、何かと勉強するが多いということです。同年代の子どもの状況を知ることで、気が楽になることもあり、他にもいろんな情報を得ることができます。

        私は相馬という所に住んでいますので、親の会の拠点の福島市に通うのは、ちょっと遠いのですが、県内の各地域に、親の会があったほうがいいなぁと思うようになりました。  近いほうがいいからというのも理由ですが、ダウン症は1000人に1人くらいの割合で生まれ、どこに生まれてきても不思議ではないので、これから生まれてくる子どもとその家族のためにも地元に必要だと思うからです。




       そうして出来たのが「こうまの会」でした。その後、建築の仕事を辞め、娘が小学2年の時に転職し、ビーンズで働くことになり、土日もイベントで販売や研修があって、休止状態に....。




       障害者自立支援法の制定の年に、生活介護のぴーなっつができて、えんどう豆に異動となりました。その娘も今では、高校3年生。もうすぐ社会人になる時期になり、地元で楽しく働く居場所を作ることを目的としていたので、相馬に戻る決心をしました。えんどう豆での実践は、たくさんの事を教えてくれました。障がいがあると大変な面はあるものの、幸せに生きることもできるということ。人としての彼らの存在は、私を励ましてくれました。


       震災の時、障がいのある人のために動いた時に、相馬の福祉を何とかしたいと思う人が少なからずいて、その人たちと集まることになりました。親であったり、支援者であったり、教師であったり、福祉の社会資源の少ない町でも、種をまいておけば、いつかは木になるかな?そんな訳で、相馬に新しい福祉の拠点を作る会ができて、福祉事業を始めるためにNPO法人みんなのしあわせプロジェクトの準備中です。わからない事が多くて、時間がかかっておりますが、一歩一歩、進んでおります。仕事、暮らし、子ども、そしてアートのある楽しい福祉がいいなぁと思っています。


       

      セデッテかしま

      • 2015.04.22 Wednesday
      • 06:56
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       常磐道の鹿島サービスエリアに隣接した観光物産館「セデッテかしま」に、バッジとTシャツを納品してきました。道の駅と同じような雰囲気で、食堂と地元の土産物が買うことができます。すごく立派な施設でびっくりしました。復興予算も入っているのかな? でも、一般の人はアクセスしにくい山の中なので、にぎわいが生まれればいいのですが....。Tシャツとバッジ、いい感じで配置されていました。

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      販売ブースはこんな感じです。野菜の陳列コーナーもありました。場所の奪い合い?

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      こちらがサービスエリア。隣りの建物(トイレと休憩する所)から物産館まで歩いてくるようです。物産館を高速道路を利用しない一般の人もアクセスできるようにした配置なんですね。

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        飯館のおじさん

        • 2015.04.21 Tuesday
        • 06:25


         飯館村に人は戻るのか? 家の前に畑で、仮設住宅に住んでいるおじさんから、川がきれいで魚がいっぱい採れただとか、山菜がうまかったとか、飯館の話を聞きました。親父と同じくらいの80歳代の年齢なので、飯館に戻るようです。家の前に除染で出た土を入れた黒い袋が山積みになって、気は滅入るでしょうが、住み慣れた土地で暮らしたいというのもわかります。飯舘村は全村民避難中。ブルーの長泥地区は帰還困難地域で、他の地域は平成29年には解除したいようです。

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