いろいろ

  • 2014.01.29 Wednesday
  • 23:39
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 落ち込んでいる時のこそ、人の優しさがわかるもんですね。その時は、めっちゃ、心に響きます。自分が正しいと相手に求めれば、みんな違ってみんないいとはならない。壊れないように自分を守る状態では、Win-Winの関係なんて築けない。えんどう豆に来る人にしろ、家族にしろ、落ち込んでいる時は、側にいてあげる存在でいたいな。

 家に帰ると、 猫がケンカで負けて傷を負って、ぐったりしていた。病院に連れて行くことになり、家族でお金を出し合うという話になった。小3の娘も自分のお小遣いから2000円出すと言って、あと1000円しかないけど、小銭がいっぱいあるのでいいそうだ。今日はこれを聞けただけで十分、幸せ。

ソウルフラワーな日

  • 2014.01.27 Monday
  • 18:31
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 ロックバンドの「ソウルフラワーユニオン」のギタリストの高木克さんが、えんどう豆に遊びに来てくれました。お会いしたのは3度目で、原発から一番近くで営業しているスーパーと言われたフレスコキクチで、ソウルフラワーもののけサミットのメンバーとして、店内のライブで会ったのが最初でした。彼のギターのソロが格好が良くて、印象に残っていました。その後、ボーカルの中川さんと一緒に、えんどう豆に遊びに来てくれ、バッジやオリジナルキーホルダーを作ることを約束してくれました。曲はハードだけど、研修生のYくんと、音楽の話で盛り上がり、垣根のない素敵な人たちだなぁと思っていました。先日、来た時も彼のニックネーム「ハチベイ」を覚えていてくれて、ほんと感激です。ソウルフラワーの音楽、ぶれなくパワフルでカッコいい。高木さんのギターも大好きです。


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 この日、横浜からボランティアに入っていたMさんは、実に4度目の南相馬で、この週は、えんどう豆にボランティアに入っていました。彼は音楽好きで、ソウルフラワーのファンだったので、最初に来た時、「あさがお」で、ソウルフラワーのバッジを作った時には驚いたそうです。今回、メンバーの高木さんがえんどう豆に来て、夜にはライブにも行き、おいしいラーメンも食べ、南相馬を楽しんで帰られました。彼から、なかなか使いこなせなかったギターのような楽器の一五一会を、教えてもらいました。ありがとうございます。お互いに楽しい時間だったようです。また、来たいとの事。待ってま〜す。
 


エリアの中

  • 2014.01.25 Saturday
  • 23:23
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 原発事故で何度か線引きされ、原発の近くに近づいていくが、町ごと人がいなくなった光景は暴力的で悲しいものがある。双葉郡の大熊町、双葉町に震災後、はじめてに入った。福島第一原発の周辺の市町村単位で避難区域の見直しを行い、市町村は放射線量に基づき、避難解除準備区域、居住制限区域、帰還困難区域に線引きした。約8万人が避難している。


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 南相馬から、いわき方面に南下するのが不便なので、申請すれば許可した車両は、国道6号線の避難困難区域を通ることができるようになった。赤い許可証を車に貼り付け出発。浪江町、双葉町、大熊町と南下する。浪江町をとおりすぎて帰還困難区域に入ると線量が跳ね上がり、危険を感じ緊張する。送電線が海に向かっている。福島第一原発の排気筒が見えた。車を停めて、線量計の数値を見て驚いた。380マイクロシーベルト/hを超える。えんどう豆では、0.3マイクロシーベルトなので4ケタ違う。国道から町に入る道には、バリケードがあり入ることができないようになっていた。誰も住めない町。全国の原発から100キロ圏内の人は他人事ではないと思うよ。

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 この土地のご先祖が原発の計画に賛同した結果なのだろうが、あまりにその代償は大きい。国が主導して安全だと言い続け、この結果。そして日本の原発を再稼働させていくだろう国。リスク高くね?


 
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    ほっと悠の3.11

    • 2014.01.24 Friday
    • 00:14
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     「ほっと悠」は、南相馬市原町区にあって、相馬野馬追が行われる雲雀ケ原の近くに位置している。主に精神障がいのメンバーが元気に働く作業所で、食彩庵(観光物産館に付随する食堂)、病院の中のショップ、メール便、まちなか広場のお店、下請け作業などいろいろな仕事をしていた。小高区にも「あゆみ」という作業所があった。

     3.11、午後3時前、地震があった時、就労継続支援B型の「ほっと悠MS(エムズ)」のメンバーは、内職の仕事をしていた。車に乗っていても倒れそうな揺れだったという。部屋にいる人は机に隠れ、外にいた人は木につかまった。理事長の村田さんは福島市の社会福祉協議会で出張中。エムズの所長のSさんは、各作業所の状況を確認するため、車を走らせた。幸いメンバーに被害はなかったが、余震は収まらず、すぐに帰らせることも出来ずに、しばらく待機していた。午後4時頃、村田さんが、コンビニから買ってきたパンをたくさん抱えて帰ってきた。その後、帰ることが出来る人は自宅に戻ったが、自宅を流されてしまった人や一人暮らしの人など帰れない人もいて、みんなで作業所に布団を持ち込んで泊まる事になった。

     ほっと悠は、南相馬でも南の方に位置していて、原発から20キロの近くにある。メンバーと職員の多くは20キロ圏内に自宅があった。職員の家が流され、家族を失った人が2名。原発から数キロに自宅があった人が2名。仕事どころではない状況になっていた。
     エムズのSさんの自宅は、小高区の海の近くに塚原地区にあった。津波が押し寄せた後、ガレキがいっぱいの道を何とかして自宅に戻った。高台にあったので、津波の直撃は避けられたものの自宅は半壊。ただ親が浮舟会館の避難所にいる事を知り安堵した。停電の中、その日は車で夜を明かした。

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      新光食堂

      • 2014.01.23 Thursday
      • 18:13
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       月に一度のえんどう豆の食事会、丸森町にある新光食堂に出かけました。自家製麺で化学調味料を使わない中華料理。相馬に来たミュージシャンも新光食堂のファンが多いのです。くるりの岸田くんも絶賛。えんどう豆のメンバーも気に入った様子で、大満足だったようです。店内には、トライアンフが数台、置かれてあって、和と英国のの骨董のチャンプルー。店主と奥さんは、根っからの音楽好きで、おもしろい人です。実は、創業55周年を記念して、ファクトリーでバッジの作ってくれたのでした。餃子をサービスしてもらいました。ありがとうございます。ホームページの方でもバッチを紹介しています。

      http://minamisoma-factory.com/original-badge/shinko_shokudo/



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      あさがおの3.11

      • 2014.01.22 Wednesday
      • 23:59


       南相馬市の就労継続支援B型の福祉事業所の「きぼうのあさがお」は、海から約3キロほど離れた鹿島区にある。311日も、メール便や下請けの基盤の仕事、そして翌日に行われるはずだった社会福祉協議会が主催のボランティアフェスティバルのお弁当の食材の準備を行っていた。午後3時前、大きな地震が発生。隣の家の瓦屋根が落ちるのが見えた。利用者は机の下に隠れたり、柱に捕まったりして、人や建物に被害はなかった。


       揺れが少し落ち着いて、コーヒーでも飲もうかと言っていた時、知り合いのサーファーが「大きな津波がくるぞ!逃げろ!」と飛び込んできた。メンバーと職員は一緒に、何台かの自動車に乗って、高台の桜平山に避難した。その後、高さ9mを超える巨大津波が到達。田んぼや畑を飲み込み、海岸の近くにある集落は消え、津波は「あさがお」の500m手前まで押し寄せていた。自宅に帰る人は戻ったが、一人暮らしの人とグループホームの人は、職員と共に避難所に午後9時過ぎまで過ごした。余震が続き、不安な夜が過ぎていった。 

      その在り方

      • 2014.01.22 Wednesday
      • 03:40
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       南相馬市長選は、 脱原発を訴えて現職の桜井氏が選ばれた。国や県との関係がいいかどうか、私には彼の手腕はわからないけれど、原発の被災地の首長として、その在り方を世界に示してほしい。放射性物質の最終処分場を福島以外に求める案が新聞に載った。相手の事など関係のない思いやりのない国の考え方。一部の人に押し付けるのではなく、負の遺産は、国民すべてが負担しなくてはならないのではないか。原発を再稼働させ、核廃棄物は増え続ける。この国はどこに行ってしまうのか。

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       葛飾の彫刻家の工房に貼ってあったガンジーの言葉。コピーしてもらってきた。震災後、MY LIFE IS MY MESSAGEという言葉に会って、支えになっていたが、その言葉もガンジーの言葉だった。この所、理解してもらえず、へこむ事が多いが、前を向いていかないと....。

      ひばりワークセンターの3.11

      • 2014.01.21 Tuesday
      • 22:53
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       4月から3つの作業所(ひばり作業所、身友会、ポニーハウス)が合併して、就労系の福祉事業所としてスタートするはずだった「ひばりワークセンター」は、建物の改修が終わり、保護者も来て引っ越しの最中であった。2時46分体験したことのない大きな地震が起きた。利用者は、工作機械の工場の下請けの仕事をしていたが、利用者も職員、建物にも被害はなく、送迎するなどして全員が家庭に帰っていった。午後3時過ぎ、職員が成果物を工場に届けた。海の方がキラキラしていると思ったと言う。引越し中でテレビはなく情報が入らなかった 。ゴーッと音が聞こえたが、飛行機の音だね、と言っていたそうだ。搬入に行った職員の家は流され、体育館に避難した。だが、これは始まりに過ぎなかった。

      小林くんのカレンダー

      • 2014.01.20 Monday
      • 23:58
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       都留市内在住の小林浩太朗君(ふじざくら支援学校高等部2年生)が描いたカレンダーを送って頂いた。シンプルな表現だけど、すごく力強い。小林君は重度の難治性のてんかんがあり、全介護を受け生活をしているが、先生の指導を受け、コミュニケーションを取りながら描いたカレンダーからは、生きることに真剣であること、廻りの人の愛情が伝わってきます。小林くん、送ってくれたSさん、ありがとうございます。

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      プンタレッタな休日

      • 2014.01.19 Sunday
      • 23:28
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       相馬市の隣にある丸森町(宮城県)は、ちょっとロマンを感じる町。斎理屋敷は絹の商いで富豪となった商家で、丸森を代表する観光スポットとなっている。丸森は古びた昭和初期にイメージで街おこしをしていて、和紙づくりや養蚕の繭でつくった小物、アケビづるのカゴなど、田舎の文化が残っていて、それを売りにしているのがいい感じです。人もあったかな所です。

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       見慣れない野菜が、生産者の直売所に置いてあったので購入。「プンタレッタ」というイタリアの野菜で、伊達政宗が支倉常長をローマに派遣したのがきっかけで、丸森でも栽培されているそうです。レシピを見て、サラダを作ってみたのですが、ちょっと苦くてクセになりそう。


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       実は、大地を感じるような手作りパンが食べたくて探していたのですが、丸森に天然酵母を使ったパン屋さんを発見。パン屋さんのチラシには、こだわりの材料と放射線の事が書いてあり、食の問題が福島だけの問題ではないのだなぁと思いました。丸森にしろ飯館にしろ、田舎すぎて、ライフスタイルにこだわりがある人が集まっている感じがします。福祉の仕事をしているけど、自然との関係も大事にした仕事がしたいなぁと思うこの頃。




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