ふたばプロジェクト

  • 2013.07.31 Wednesday
  • 06:15
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 原発事故で避難を余儀なくされ、住んでいた所に戻ることができない双葉郡8町村の人たち。障がいのある人たちも同様で、福祉作業所は避難した先で再開している場合が多い。また、作業所がなかった町村も、今まで作業所に行けなかった人たちが行く場を求め、作業所が生まれていたりするのである。その状況を調査し、支援してきたJDF被災地障がい者支援センターは、サロン活動として、その人たちを受け入れてきたが、障害者の手帳のない人もいて、満員の状況である。



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 この日、双葉郡8町村の7つの作業所が、共同で、咲き織りバックを作ろうというプロジェクトのワークショップに参加した。プロジェクトは「ふたばプロジェクト」と名付けられた。使用済みの布を裂いて横糸にして、手織り機で織っていく。ほとんどの作業所が仕事が少ない状況なので、共同して製作する。



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 南相馬ファクトリーが出来た時も、全くといっていいほど仕事がなかったが、双葉郡の作業所は、今、同じような状況なのかもしれない。今回、南相馬ファクトリーのバックの企画、デザインをしているが、県内の作業所の人たちに協力してバッジプロジェクトが出来たように、このプロジェクトを支援していきたいと思う。

雨の山形

  • 2013.07.30 Tuesday
  • 18:14


 

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 東北でも、不安定な天気が続いています。山形10中より、ひまわりプロジェクトの途中経過の報告が届きました。雨が降って、順調に育っているようです。また、PTA研修大会で、山形市教育長さんや山形市PTA連合会長さんをはじめたくさんの方に缶バッジの話をして、バッジを購入して頂いたそうです。

以下、メールの一部を紹介させていただきます。(せんせい、すいません)

子どもたちが発表したのは人の意識を変えることのむずかしさと人とつながるよろこび。
「中学生なら本気をだせば大人をかえられるかもしれないよ」と言って送り出しました。
一昨日南相馬市小高区金谷に自宅があるボランティアリーダーさんから「山形の人にお世話になったから、山形の南陽に洪水被害のボランティアに行く。先生の学校は大丈夫ですか?
と電話がありました。断水が続く県内各地には東北各地の市町村の水道局の車が入っています。南三陸町、登米、福島市、郡山市・・・・・。涙がでるような光景です。一方で震災のことも洪水のことも忘れ去っている市民もいるのに。 ひまわりに誓って忘れないようにしないと・・・・。

愛の連鎖は起きるものですね。震災で、何を大事にしないといけないのか、気づいた人たちは少なからずいるのだと思います。私、ちょっと、ウルウルです。この気持ちを、子供たちに伝えられるとすれば、未来を信じられるのでは?


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 NHKの大河ドラマ「八重の桜」で、会津戦争に負けた会津の人が、山形県米沢に逃げのびる話がありましたが、原発事故で山形に避難している状況とダブり、胸が詰まりました。困った時はお互い様。時代は変われど、大事なことは、それほど変わらないのではないでしょうか。山形の学校で、ふくしまの子供たちを、やさしく受け入れてくれている事に感謝いたします。

小高工業野球部、健闘す。

  • 2013.07.29 Monday
  • 22:25
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 南相馬市の小高区にある「小高工」が、夏の甲子園のふくしま大会で、ベスト4に入る快挙。甲子園の常連の聖光学園に負けはしたものの、仮設校舎で野球部のグランドもない状況で、よくぞここまで勝ち上がってくれたものだ。小高区は、旧警戒区域で、今は避難解除区域となったが、住む事はできない地域で、原町区に仮設の校舎がある。小高工のピッチャーは、私の母校の中学の出身で、好投した。まだ2年生との事、がんばってほしい。


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 福島民報(7月28日)南相馬市と双葉郡の町村の関連死が増えている。南相馬の場合だと、5月6日(ブログ参照)から18人増えて424人、相馬市の21人と比較すると、津波の被害は同等だったのに、原発被害の後遺症がどれだけ大きいか、数値が物語っている。

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 放射線量は、概ね変化はないようだ。表に平常値とあるが、平常値に戻ることはないのが悲しい。県庁所在地である福島の方が、南相馬よりも、放射線量が高いのがわかる。ちなみに、年間1ミリシーベルト(1,000マイクロシーベルト)を、時間あたりに換算すると、0.23マイクロシーベルトである。

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 3LサイズのTシャツが届く。でか〜い!
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    大島圭太さん来豆

    • 2013.07.29 Monday
    • 06:44
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     ミュージシャンの大島圭太さんが、えんどう豆に来てくれた。これが2回目で、研修生たちに音楽を聴いてほしいと、わざわざ立ち寄ってくれた。全国各地、年間160カ所ほど、歌って廻っている彼の歌は明るくて、元気をもらう。「ビール片手に」は、え〜曲ですね。彼が何を伝えてきたか、どういう関係を築いてきたかがわかります。ありがとうございました。彼の使っている楽器は、一五一会という楽器で、本物は迫力ありますね。えんどう豆の、YU子さんが弾いているのは、音来(ニライ)という最小の一五一会です。

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    masaoさんの織り。ゆらぎがあって、色がきれい。


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     娘が描いた絵。なんだろう。この生き物?おばけとありますが、自由な発想に脱帽。

    いざ沖縄へ

    • 2013.07.28 Sunday
    • 09:35
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     2人の娘たちは、保養プログラムで、仙台空港から、沖縄へ向かう。しばらく会えないけれど、成長して帰ってくると信じております。のびのび遊んできてほしいなぁ。大人も保養したい。さぁ、お仕事、お仕事。


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     お仕事をしていると、JDF被災地障がい者支援センターよりの派遣で、南相馬の作業所にボランティアに入った人たちが、相馬野馬追のツアーで、ファクトリーを見学しに来てくれた。何度となく、福島に入り応援し続けてくれている。支援センターから聞いた話だと、岩手、宮城、福島に入ったボランティアさんの総数は、6,300人を超えるとの事。そして関係が切れずに、こうして、やってきてくれていて、私達は何を返せばいいのでしょう。今日、相馬野馬追の日に、雨が降らずに、良かったです。
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      相馬野馬追

      • 2013.07.27 Saturday
      • 17:00
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       今年も相馬野馬追の日が、やってきた。今年の総大将は、相馬陽胤氏(頭首の弟)が務め、震災と原発事故からの復興のメッセージを伝えた。相馬市長と南相馬市長の挨拶からも、復興に臨む心意気が伝わって、出陣式に行ってよかった。

       相馬野馬追は、3日間ある神事で、相馬藩の軍事演習である。観光が主たる目的ではないのだと思う。そのため観光客が、道路を横切る、上から眺めるなど、失礼な振る舞いをすると、荒い言葉で叱られる。初日、5つの郷(エリア)から出陣し、翌日、南相馬市の雲雀が原で神旗争奪戦や甲冑競馬が行われる。藩にある3つの妙見神社も祭場へ出向く。馬や甲冑武士は目をひくが、現代の文明と全く違った価値観、ルールが存在するのが興味深い。最終日、南相馬市の小高神社で行われる、野馬掛けは素朴であるが、相馬の文化、ルーツを感じ、私は一番好きである。

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       殿さまのお屋敷に、お出迎え。お遣い番のほか、相馬市長や南相馬市長も、挨拶にやってくる。

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       家のお隣さんも親子で出陣。

       武士の行事なので、興味のない市民もいるが、平将門に由来し1,000年を超える歴史があるのは、文化的には興味深い。

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        除染と食の安全

        • 2013.07.26 Friday
        • 05:47
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         打ち合わせに福島に向かう。飯舘村を通ると、何カ所かで除染が行われていた。田んぼや畑は、ボックホウやブルトーザーの重機が入り、表土を削り取っていた。住宅は、ほとんど人力で行われている。お墓の除染も行われ、人力で墓石を磨いていた。どれだけ効果があるのかわからないが、やらないよりは、やった方はいいといい感じで、劇的な効果があるとは思えない。ほとんどが山林や農地であり、原発事故が起きる前の飯舘村を取り戻す事は困難に思える。

         警戒区域の南相馬市小高区に住んでいた人が言っていたが、帰れないと言ってもらえば、次のステップを考える。でも、国が帰れると言うなら、そこで暮らすことを前提に待つしかないのは苦しい。すでに2年が経過し、時間だけが過ぎていく。

         下の資料は、県民の一部を対象とした日常食のサンプリング検査の結果。子どもの親として、安全と言われても安心できない。まき散らされ続ける放射性物質。今日も、福島では、汚染水が海に垂れ流しのニュースが放送されたが、全国では大きなニュースとしては扱われない状況だ。 平和で豊かな生活を奪った原発事故。この現実を、多くの政治家は見ないふりで、経済が最優先で進んで行く。国民は、この現実を、なかったように扱っていいのだろうか。同じ規模の地震が起きれば、同じような悲劇は起きるだろう。その時、日本人は、どんな言い逃れをするのか。



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        セルプかえで

        • 2013.07.25 Thursday
        • 06:20

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         南相馬市から、福島市へ向かう途中、飯舘村を抜けると川俣町があり、そこに「セルプかえで」がある。特注で、絵手紙マグネットを作ってくれていて、根強い人気がある。筆で描いたコメントに、とても励まされる。先日、川俣の道路に、たくさんの人が出て、花壇の清掃をしていた。小さな町なのに、すごいなぁと思ったが、川俣町には、飯舘村の仮設住宅や小学校があり、その日、天皇陛下が川俣町を訪問したのだった。原発事故から興味を失った人が多いと聞いているが、こんな所まで天皇陛下が来てくれて、多くの人が心から感謝している。

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        暴走、くるみ画伯。

        • 2013.07.24 Wednesday
        • 06:00
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         きょうされんのバックの製作のため、布にマルを描いてもらうようにお願いするが、くるみさんは、人の絵を描きたかった。すごいスピードで、描いていく。もう、止まらない。まぁ、描きたいんだから、しょうがないか。これを切り刻んで、バックにするのは、もったいない気もするなぁ。

         ちょっと休憩したら、たんぽぽの花を摘んできた。そしたら、絵の具の中に、たんぽぽをポチョンと入れて、スタンプにしてしまった。何と独創的というか、枠がないのね。基本的に自由なんだろうなぁ。迷いがなく、描くのがすばらしい。ほとんど、お話もしない彼女だけど、秘められたパワーと可能性は、人並み外れたものがあるのは確かなようだ。どう、発展成長させるかは、支援者の腕にかかっている。

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        まめおじさん

        • 2013.07.23 Tuesday
        • 05:59
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         誕生日に、嫁さんがプレゼントを買ってきてくれました。うん、これは、いいね。子どもの誕生日の方が、うれしい自分。気持ちは30代なんだけどなぁ。

         娘がダウン症として生まれて、転職して、建築の仕事から福祉の仕事になったけど、人に喜んでもらえることは同じかな。自分は、相手の顔が見える仕事がいいなぁ。えんどう豆のみんなが、笑顔でいられるのが一番。えんどう豆は、小さな施設なので、家族や親戚のような信頼関係のある場所で、ゆっくり仕事が出来たらいいなぁと思っています。


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         娘が、仙台の学校から、帰ってきました。暑中お見舞いを書いてくれました。う〜れしい。もう少し、がんばれそうです。


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