新地駅の奇跡
- 2013.04.29 Monday
- 22:14
3月11日、14時46分、常磐線の「新地駅」に電車が停車していた。大きな横揺れがあった。運転手の原田さんの大津波警報の知らせを受けた。乗客は約40名、その中に、相馬に赴任するために研修を終えた2人の新任の警察官が乗っていた。「自分たちは警官である。乗客を避難させる」と言う。警察官は、町役場まで約1キロ、乗客を誘導し、乗客の命を救うことになる。
しかし、運転手の原田さん+車掌さん2名は電車に残った。しばらくして、海を見ていた監視をしていた車掌は異変に気づいた。黒い壁が近づいてくる。3人は、新地駅の跨線橋に上がった。津波は電車と駅を飲み込んだ。電車は浮いて跨線橋にぶつかった。水は階段の最上部まで押し寄せた。地面から8m以上はあっただろうと言う。会社に連絡しようとしたが、携帯電話はつながらなかった。駅周辺の家は既になかった。
水が引いたが、余震があって再び、水が覆う。
偶然、携帯がつながり、救助を求めたが来てくれない。二次災害の危険があった。翌日の朝、3人は、町役場に向う、助かった。電車は折れ曲がり、駅舎はなくなっていた。津波は来ないものと思っていたと言う。現場でのとっさの判断は、臨機応変に行った事が、多くの人命を救った。
原田さんは、再び現場に戻って運転の仕事をしている。ただ、常磐線は相馬から原ノ町の間の4つの駅を2両編成の車両で運転している。いわき方面へも仙台方面にもつながらない。若い人だったら物足りなくて嫌になるかもねと話す。それでも、自分の仕事を責任もって、住民を支える役目を担っていることに誇りを持ってる。そんな人たちが、南相馬を支えているのかもしれない。
原田さんの運転していた車両。701系(交流) 跨線橋から撮影した津波の映像もあったが、あの日の事がフィードバックして辛くなり、今回は掲載を遠慮した。今、生きている事が奇跡のように感じてしまう。新地駅は跨線橋も取り壊され、今では草むらだけだ。
この路線は、きっとJRは儲からないかれど、プライドをかけて、住民の足を守っているように見える。またJR労組さんには、南相馬ファクトリーにバッジを注文してもらったり、支援物資をもってきてもらったり、本当にお世話になってます。感謝。
この路線は、きっとJRは儲からないかれど、プライドをかけて、住民の足を守っているように見える。またJR労組さんには、南相馬ファクトリーにバッジを注文してもらったり、支援物資をもってきてもらったり、本当にお世話になってます。感謝。
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