借りて来た9匹のネコ

  • 2013.01.31 Thursday
  • 06:37
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 バッジの納品に、相馬の「船橋屋さん」にお出かけ。素敵なお部屋で、お茶をごちそうになるサプライズ。和風だけどモダンで、贅沢な感じ。借りて来た9匹のネコになっております。

 船橋屋さんは、震災後、社長さん、奥さんの陣頭指揮の元、自社の工場をつかって、ずっと炊き出し、おにぎりの提供を行っていました。社長さんと奥さんは素敵な人で、福祉や芸術にも明るい方です。南相馬での「とっておきの音楽祭」や、仙台で行われた、ダウン症の書家の金澤祥子ちゃんのパフォーマンスに、いらしていました。いろんな人に支えられての、えんどう豆です。

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「はね駒」なつかし〜。確か斉藤由貴主演だったかな。

8度目のボランティア

  • 2013.01.29 Tuesday
  • 23:26
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新谷さんは、京都の作業所から、ボランティアとして、今までに8回、南相馬に入ってくれている。(えんどう豆には、2回目だ。)

最初は、震災直後の4月。まだ、津波の影響が色濃くて、海辺は腐敗した匂いが漂っていた頃だ。

支援物資を届けに、「ぴーなっつ」と「あさがお」に来たが、震度6の地震がきて、びっくりしたそうだ。

体育館が一時避難所となっていていた頃「JDF被災地障がい者支援センターふくしま」の一員として、避難所にいる障がい者の調査に入った。

福島第一原発より、20キロ以内は、警戒区域となり、立ち入り禁止。30キロ以内は、屋内退避となっていた。

南相馬市は、食料、ガソリンは入ってこない状態で、ほとんどの店が閉まっていた。


2回目は、その2ヶ月後の6月。

南相馬の原町区は「緊急時避難準備区域」になった。区域内は、学校が閉鎖され、ほとんどの病院、福祉施設もやっていなかった。

それでも、市民が戻りはじめ、障がい者も同様だった。

原発が爆発した時、国は要援護者を避難させる必要があったが、市が策定した名簿には、多くの障がい者の名前はなかった。

支援センターふくしまと地元の支援の拠点となったぴーなっつは、知的障害者、身体障害者の名簿を南相馬市より委託される形で、対象者1,139名の調査を行った。

ボランティアは、ぴーなっつに寝泊まりし、朝晩の作戦会議。新谷さんは、調査や資料のまとめを行った。

その頃、飲食できるお店は数少なく「大甕」の ほっきめし と「味くら」の辛〜いラーメンを食べたことが、いい思い出らしい。

ほっき(貝)は、うまかったけど、地元産のものだったのかなぁ?と語る。(汗)

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3度目は8月。警戒区域になり、避難を余儀なくされた小高区の住民は、30キロ圏外の鹿島区に、仮設住宅に住んでいたが、障がい者がいるらしいとの情報があり、調査に入ったそうだ。

4度目は、12月で、ぴーなっつの施設支援に入る。職員が避難して、退職してしまったため、支援が手薄になっているためだ。その後、あさがお、ほっと悠、えんどう豆、ビーンズと、ほとんどの事業所の支援に入っている。



新谷さんに「どんな事が心に残ったか?」と聞いてみた。

孫に、自分たちが作ったものを食べさせられない。孫の喜ぶ顔を見るのが幸せなのに、孫は避難して一緒に暮らせないのはつらい。と、じいちゃん、ばあちゃんが話しくれた。補償をすればいいという問題ではないよね、と。

秋に、隣の相馬市の田んぼが黄金色に輝いているのに、南相馬は雑草だらけ。飯館村は、住民がいないので、除草もできず、雑草が伸び放題。お米を作る人の気持ちを考えたら、いくら補償があっても、生きてる実感がないのは幸せではない。

つらい事を経験した人に話を聞くのは苦手なんですよ。その人の思いを考えたら、言葉にならなくて....。津波で被災した現場の、写真は撮れなかった。私でさえ、何度かか来て、この土地に愛着を感じるのに、そこに住んでいた人なら、どれだけ、この土地に愛情があることか....。

(本人は、京都弁でしたが、書くことができず、味は伝えられないなぁ)

新谷さんは、震災から、もうすぐ2年が経とうとしていて、一見、日常を取り戻しているように見えても、まだまだ復興していない南相馬の現実を知る外部の人だ。

ご自身、阪神淡路大震災を経験し、大飯原発から30キロ圏内に施設があり、他人事ではないにしても、8度目のボランティア、ありがとうございます。

新谷さんのように、ふくしまに入り、寄り添ってくれている方々がいる事に、勇気をもらいます。謝々

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辛口の「味くら」。ボランティアさんの定番のお店。  (聞き取り/えんどう豆の佐藤)


※ブログ、今日で400回目です。継続は力なり!ふくしまのために、続けてきました!

SBN

  • 2013.01.27 Sunday
  • 22:19

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 「つながり∞ふくしま」は、県内の作業所が連携して、仕事起こしのプロジェクトを行っています。上のボタンは、須賀川市内にある就労継続支援B型事業所ネットワーク「SBN」が作った「ボタン」。南相馬ファクトリーとコラボできたらいいなぁと、ボタンを製作した須賀川共労育成園を見学しに行きました。

 木工製品が主力製品の福祉施設なので、いろんな大型の工作機械が、ところ狭しと並びます。おじさん(私)、大興奮。すげ〜!

ボタンは、テーブルソーで、木片が切り出され、ルーターでくぼみを削ります。刃先を変え、加工を行いますが、これもまた、重量級の機械で、パワフル。うらやまし〜。

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糸鋸で円形を削り出します。(これも大型でパワフル)支援員より、上手なメンバーさん=職人さんがいるそうで、その人と相談しながら加工するそうです。

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 研磨するサンダー。この他に、洗濯機のモーターを改良して、作った研磨機を見せてくれました。負荷をかけると止まる安全性が高い優れもの。写真がないのが残念。

 仕上げは、オイルフィニッシュで、天然の種子などの油でできた安全、安心にこだわったオイルを用いて、仕上げています。ペンキなど表面に皮膜を作る仕上げとは異なり、自然の質感を出すこだわりの仕上げです。全国から送られてきた、ひまわりから採れた油も使われるかもしれません。

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 小物の木工製品の他に、椅子や机など、大型の家具も製作しています。訪問した時は「彼岸花」の製作中。単価は高くはないそうですが、長い時間取り組める大事な仕事だと言っていました。型取りした木片を、電動のカンナで、削り出して作ります。厚さは、0.5ミリ程度でしょうか。窯で煮立てた染料に浸し着色して、仕上げます。

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 見学して、南相馬ファクトリーで、利用者の絵や文字を入れて、商品企画し、SBN(須賀川B型作業所ネットワーク)に製作を依頼し、ファクトリーで販売することができるのではないかと思いました。アイディア、商品企画、生産を、ひとつの作業所に制約し、人、物の共有すれば、新しい商品が生まれてくる可能性が高いと思われます。

 間もなく、南相馬ファクトリーとSBNのコラボ商品ができることでしょう。震災がなければ、このようなつながりは生まれなかったことで、不思議なものです。県内のほとんどの作業所の売り上げは減少傾向なので、ふくしまのみんなで協力して、いろいろ作って、何とかしたいと思います。

シルクスクリーン(1)

  • 2013.01.25 Friday
  • 22:54
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 今日はえんどう豆が、臨時休業で、シルクスクリーンの製版機の製作をしました。目標は、くるみちゃんの大型(B2)ポスターです。シルクスクリーンは「プリントゴッコ」と同じ理屈で孔版印刷です。版は、紫外線(UV)を使うので、ブラックライトを購入。ボックスは、家にあった端材で組み立て、蛍光灯とガラスは解体現場から出たモノなので無料です。点灯試験はドキドキでしたが、無事成功。きょうの作業は、とりあえず、ここまで。手作りするのは、ワクワクして、おもしろいですね。

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 ガラスは、テンパライトを使用。復層ガラスだが、特別な意味はなく、そこにあったから。(笑) ボックスの大きさは、ガラスに合わせ、製作したが、B2サイズの製版ができる。でも、うまくいくかどうかは、やってみなくちゃ、わからない。

中学校の里親さんより

  • 2013.01.24 Thursday
  • 22:24


 ひまわりプロジェクトに取り組んでくれた八王子市立第一中の生徒さんから、ひまわりの種と手紙を頂きました。実った種の2/3が、鳥に食べられてしまったんですね。でも、皆さんの気持ちは、受け取りました。ありがとうございます。子どもたちが、蒔いた種は、きっと皆さんの心に蒔かれた種で、未来をつくる種だったと思います。みんなが、安心して生きることができる社会にしてほしい。

 先日の講演会で、原発事故で放射性物質がまき散らされた福島であっても、自然は変わらず、大地から癒しとエネルギーをもらうと言っていた方がおりました。人間も自然に生かされた存在です。土を遮蔽し、経済を重視す過ぎる人の考え方に染まってしまって、根本的に道を間違えているように思うのは、考え過ぎなのでしょうか。

大牟田観光協会さん、ひまわりの種、届きました。ありがとうございます。

食事会と地球村

  • 2013.01.23 Wednesday
  • 23:03
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 月に一度の食事会。今回は、隣の相馬市の「たこ八」に、海鮮丼を食べに行った。芸能人のサインがいっぱいあって、NHKのBSの番組でも火野正平さんも来た店で、昼時で混雑していた。みんな、うまそうに食べるので、こちらもうれしかった。

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 みんなで、少し足をのばして、宮城県の山元町の「カフェ地球村」にお茶しに行く。所長さんは素敵な女性で、メンバーはあったかい。 震災後、つながりができた作業所で、え〜とこよ!「また、来るね」と約束して、急いで帰る途中、高速道路を降り所で、自動車がパンク。オーマイガッ!


コンセプト

  • 2013.01.21 Monday
  • 23:42
 福祉作業所が集まり、ネットワークで、福島の問題に立ち向かうのが「つながり∞ふくしま」のプロジェクト。 南相馬ファクトリーのバッジの企画も、この流れで出来上がった。震災から二年が経とうとしているが、まだまだ平常モードではない。いくつかのプロジェクトが動き出しているが、自分の事業所だけでなく、作業所が集まって、人、モノ、時間の資源を共有し、新しいものを作り出そうとしている。

 今日は郡山で「つながり∞ふくしま」の会議があり、コンセプトについて、みんなで考えた。組織として、運営が難しいようだが、既成のものに縛られないで、新しいものにチャレンジしていく感じがあるのがいい。震災後、なかまが、南相馬まで応援に来てくれたように、私も福島のために、応援していこうと思っている。

アート化セミナー

  • 2013.01.19 Saturday
  • 22:40
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 障がいを持つ人たちのアートを支援する「エイブル・アート・ジャパン」が主催して、「アート化セミナー」が、福島でも開催され、早朝、郡山へと向かう。朝日に山が輝いていた。

 本人の表現を大事にして、アートの活動の中心にアートの作品とデザインの力で価値のある商品を生み出してきた。事例で、実際にしてきたいくつかの工房の事例も紹介されたが、そこには障がい者の作品があるのではなくて、温かな表現は、芸術作品としても、十分に魅力がある。街、社会に対するアプローチも素敵だった、アートは、福祉のための福祉ではない、その人らしさを表現するツールになる可能性があると思った。

 私は南相馬ファクトリーの事例を発表した。バッジの売り上げの実績はあり、仕事起こしとしては成功したと言えるかもしれないが、ファクトリーのメンバーの表現の可能性や、アートを生かしきれているとは言えないよう思った。今後、エイブルアートが協力してくれるとの事なので、ワークショップを開いてもいいのかもしれないと思う。ファクトリーの6つの作業所には、個性的で、かわいい絵を描く人はいるが、ほとんどの場合、創作的な時間をとれないし、支援できる人がいないのが現状だ。そこで出来た作品を、商品企画につなげていける可能性がある。

 震災前に戻すという考え方より、新しいものを創り出そうという方が、今のふくしまには合っている。たんぽぽの家の理事長の播磨さんより「アートの種を蒔き、心の森を取り戻そう」と言葉を頂いた。今、一番大変な福島だからこそ、人を大事に考えるメッセージを、社会に訴えられるし、新しいモノが出来るのかもしれない。既に何とかしようと連携は始まっていて、みんなで何とかしようとするのが、福島らしい。可能性が見えたがうれしかった。





 工房まる(福岡)のY氏のプレゼン。15年間、アート活動を中心に行っている。福祉業っぽくない、なんか自由な感じがいいなぁ。一番受けたのは、カレンダーのPV(プロモーションビデオ)。これくらいの笑いのセンスが、今の福島にも欲しい。

シナリオ

  • 2013.01.17 Thursday
  • 22:25
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 今日、阪神淡路大震災より、18年が経った。当時、私は、そこに住む人たちの事を感じ、考えることができなかった。神戸からボランティアに入ってくれた方に、その当時の話を聞き、そして行動してきたことを聞いた。情けない話、同じような事を経験したからこそ、その大変さや気持ちが、わかるようになったような気がする。しばし合掌。

 今のふくしまには、家や仕事、家族を失い、激変した環境に対応できない人がいる。あったはずのシナリオは、大きく書き換えられた。今は、自分の中に、あそこまで行こうとう目標、ヴィジョンが欲しい。それを、作らなければならないのは大人のはずなのに。誰かに期待するより、自分自身が、どう関わるが大事なことはわかっていても、なかなか前には進まない。

 南相馬市の小高区の海。えんどう豆の利用者のHくんの自宅があった集落は消えていた。何度か家庭訪問して、景色を覚えて、過去のイメージがだぶって見える。津波で押しつぶぶされた自動車、破壊された家屋。あれから二年経とうとしているのに。

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 南相馬市役所で見つけた「スマートコミュニティ構想」のプラン。エネルギーを自給自足し、環境への配慮し、快適な生活を作ろうという試み。異論はないけど、どこにでもあるような住宅地のような景色になりそうだなぁ。私の好みとしては、伝統が感じられる田舎くさい街がいいなぁ。どこか、都会的で商業的な匂いがするのはしようがないのかな。

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    きょうされん福島2013

    • 2013.01.16 Wednesday
    • 06:01
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    今年の9月21日と22日に「きょうされん」の全国大会が、福島で開かれる。

    http://kyosaren-fukushima.org/

    「きょうされん」は、元々、障がい者が通う小規模作業所の全国組織で、国に制度改革を働きかけたり、障がい者福祉について、戦ってきた団体である。震災後、すぐに被災地に入ったのは、JDF(日本障がいフォーラム)の人たちであったが、きょうされんも中心的な役割を果たした。災害時、行政は対応に追われ、「障害者どころではない」と後手になったが、「きょうされん」は常に、攻めの姿勢で現地に入っていた。

    大会は、宮城が順番だったらしいが、福島が買って出た。福島には伝えたい思いがあった。私はその広報係に選ばれ、広報は、大会本番で号外を配ることが主な仕事であったが、福島で起きたことを、全国の人と共有するため、ブログを提案した。ふくしまで起きた事のディテール(詳細)を伝え、ボランティアに入った全国の人の想いを伝え、ふくしまに住む人も想いを伝える事に意味があると思った。福島で起きた悲劇は繰り返してはならない。そして、思いやりのある社会を作るため、当日のイベントと同様に、ブログで情報を出していく。





    大会の実行委員長は、ラジオ福島の大和田新さん。被災後、県民の目線で、ふくしまのあるがままの情報を伝えてきた。「大和田新レボ」として、今まで出してきた情報を載せる。過酷な現状を伝える情報もあるが、マスコミとして現場に関わるものとしての、彼の愛情なのだと私は思っている。友達が盲目になり、障がいを身近に感じてきた彼は、福祉の道を選ぼうとしたほどで、ラジオのパーソナリティでも、障がいを持つ人たちと番組を作ってきた経歴がある。(きょうされんの会報の1月号の巻頭でインタビューが掲載されている。)



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    大会のマスコットキャラは、えんどう豆の「たきざわくるみ」さんが担当し、大会をナビゲートする。福島は、会津、中通り、浜通りの3つの地域に分けられるが、その象徴でもある。そして、大会のテーマでもある、「つたえ つなぎ はじめる」と、過去、現在、未来をイメージしている。バッジや新たな商品で、大会を盛り上げてくれることだろう。

    (ちなみにア「アヅ」は、メルセデスベンツとヒルトンホテルのイベントでデビューした。)

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