小高の家族とスーパーひたち
- 2012.08.31 Friday
- 21:21
三世代の家族は、南相馬市の小高区の生活していた。福島第一原発が爆発して、家族がバラバラになった。嫁さんと孫は栃木の実家に避難。息子は南相馬。ばあちゃん(本人)とじいちゃんは白河の仮設住宅に3つに別れた。
小さな孫は久しぶりに会うお父さんを忘れ、ばぁちゃんは涙を流した。 今、帰る家はなく、心の拠り所がない。相馬に住む所を求めての相談であった。相馬、南相馬ともアパート、貸家の空きはない。警戒区域から避難している人が多いからだ。
話を聞いていたら、涙が出てきた。震災から1年以上が過ぎ、原発事故は過去のものになったのだろうか。えんどう豆の元の職員、2人も同じように家族が引き裂かれ生活している。今まで普通に暮らしていた家族の幸せは補償の問題だけで解決しようとするのは間違っている。誰も責任をとらず、なかったことのようになってしまうなんて。すごく悔しい。
えんどう豆に戻る途中、JR原ノ町駅で、ホコリを被った「スーパーひたち」を発見。震災以来、走ることのない車両だ。東京方面、仙台方面もつながらず、走る日はいつなのだろう?寂しそうに見える、ひたちくん。でもきっと、走る日は来る。
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