「にんじん舎」の和田さんは、JDF被災地障がい者支援センターの事務局長で、南相馬ファクトリーのバッジ事業の生みの親。原発が爆発した直後から、南相馬に入り、毎週と言っていいほど、支援を続けてきた。震災後の福祉の現場の司令塔となった。全国から駆けつけた多くのボランティアは、和田さんのお世話になっていると思う。
バッジ作りのノウハウは「えんどう豆」にあって、現場でとりまとめたのは私だったけれど、南相馬の作業所が仕事がなくて、和田さんと二本松市の「なごみ」の佐藤さんたちが、南相馬に入って、プロジェクトを進めてくれた。自分たちの作業所も、原発事故の影響を受けている中での行動だった。
「きょうされん」という福祉作業所の全国組織があり、和田さんはふくしま支部の支部長を務めていている。先日、総会があり、運営方針を示した文があるので紹介する。
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あの大地震、津波、原発事故のあと開催した支部総会。
連絡も十分でなく、会場もみどり工房さんにお借りし、開催さえも危ぶまれた支部総会に
支部結成以来最高の参加者が会場にあるれたことを思い出します。
支援に入ってくださっていた西村理事長の「ふくしますごいなぁ」という言葉を思い出します。
「ふくしますごいなぁ」今あらためて思います。藤井常務には、いつも会議の席で、「ふくしまは、その気にならないから数字があがらない。その気になると動き出すふくしま」と
言われていました。今、福島はその気になっています。
ひとつの事業所ががんばったところで、立ち向かえない巨大な困難が私たちの目の前にあります。県内でのつながり、全国でのつながり、他団体とのつながり、多くの人とのつながりで、一歩一歩前に、この困難に立ち向かっていかなければならないのです。
福島にとどまる障がいのある人たちを、そして彼らを支える若い職員たちに示さなければならないのです。私たちが進んでいく道を。
みんなでつながり、知恵と力を出し合って「働くこと」「暮らすこと」「支えること」に明日への道しるべを、みんなで見つけ出し、目標を、希望を、夢を、誇りを、しっかりと見据えて、進んでいきましょう。
以下の運営方針と事業計画を提案します。
つながりを強化し、震災後の「仕事・暮らし・支え」の困難に取り組む。
福島からしか伝えられないこと、福島だから伝えられることを発信する。
多くに支援と感謝と、ふくしまに多くのものを残せる全国大会を準備する。
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ローカルな福祉団体のことであるけれど、大切なメッセージを含んでいると思うのです。和田さんを見ていると、黒澤明の「七人の侍」を思い出すのです。あの話の敵は、野武士でしたが、今の敵は、放射線でしょうか?いいえ、違う所にあると思っています。震災後、いろんな人と出会う機会が増えていますが、和田さんと仕事ができたことを、うれしく思うのです。