えんどう豆の3.11

  • 2014.01.14 Tuesday
  • 23:13
 
3月11日(金)
 「地震だ!でかいぞ!」その日、私は南相馬市庁舎で自立支援協議会に参加していました。いまだかって体験した事ない長く強い揺れ。えんどう豆のみんなに帰ると、机の下にかくれ身を寄せていました。幸い建物には、大きな被害をなく、午後3時、帰りの時刻となり、えんどう豆のメンバーは保護者がお迎えに来て、保護者に引き渡すことができました。小高区から来ている羽下くんは、崖崩れがあるかもしれないというので、山側のルートを避け国道6号で帰ると言っていました。職員も子どもが心配との事で、自分を含めて早めに帰宅。帰りのガソリンスタンドで、「津波が6号線を超えた。」と信じられないような話を聞きました。10m級の津波が 海岸線より3〜4キロまで押し寄せていたのです。羽下くんは大丈夫だろうか?心配になりました。
 
 

週末だったので、「また月曜に会いましょう」と言って別れたのですが、研修生や職員と会うのは、しばらく後になります。仙台で働く嫁さんに連絡したのですが、携帯はつながらず、Cメールだけはつながり、安否を確認できました。我が家に戻ると、石の塀が倒れ、屋根の棟瓦はずれ落ち、土蔵の壁が壊れていました。しかし家族に大事はなく、顔を見てほっとした記憶があります。我が家は、電気とガス、水道のライフラインは大丈夫でしたが、光ケーブルにしたために電話とネットがダメでした。こんな事だったら、アナログ回線を残しておけば良かったと思いました。テレビもデジタルが使えず、アナログの古いテレビをつなぎ直して見ていました。AMラジオも大切な情報を伝えてくれていました。

 

 テレビから信じられないような津波の映像が流れてきました。相馬の老人施設の送迎車が流されたことや、ぴ〜なっつの近くにある老人福祉施設の南相馬のヨッシーランドが津波の被害の映像が流れてきました。その頃、仙台では停電で交通渋滞し、駅は閉鎖され、嫁さんは相馬の自宅に戻れず、3ヶ月実家から会社に通う事となり、帰ってきませんでした。水道、ガス、電気のライフラインが寸断し、情報も入らず、復旧するまで大変だったそうです。
 「月曜は、お休みにします。」と、みんなに連絡を入れました。まだ、原発事故が起きることは知りませんでした。異様な緊張感があり、地震と津波で亡くなった地元の人の情報も入ってきました。
 
 えんどう豆では、すみやかに利用者を保護者に返す判断をしましたが、海の近くの高台にあった学校では、帰宅させた結果、子どもの命を守られなかった話も聞きました。状況に応じた速やかな判断ができるかどうか、自信はありません。ありえないと思っていた事が起きる、事故を想定し訓練しておく事が必要かもしれません。情報が混乱し、電話がつながらない。固定電話だけでなく、携帯やCメール、Eメールも個人情報のリストの項目に入れておいた方がいいですね。避難訓練は月1回行っていますが、火事、水害、原発事故の想定で行うようになりました。

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