避難と批難

  • 2016.12.08 Thursday
  • 23:30

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自分の立場からしか物を見られない状態となると、違った考えを持った人の意見を受け入れるのが難しい。批判的な立場で言うと争いになる。宗教やイデオロギーで戦争になったりするが、原発事故が起きて、放射線の個人的な感受性や国が撒いたお金によって福島は分裂してしまった。
原発事故は明らかに人災であり、本来住民は、国会に押しかけ声を上げると思いや、避難する住民に対して賠償金が支払われ、シュプレヒコールをあげる人は一部の人に留まった。

 
放射線の拡散は線引きが難しく、原発から同心円で線引きしていたが、線の内と外で不満が生まれた。放射線量による避難指示区域が定められたが、避難者が他の地域で暮らす人のトラブルを多く聞いた。仕事がなくなってパチンコばかりしているとか、住民は一つになるというには程遠かった。避難した人が戻った時は、避難しないで残った人から、何で今頃戻ってくるの?と避難的に言葉が出た。

 
福島に住むのが好ましくないと思っている人はいて、爺婆と若夫婦が別々に暮らし、実家の野菜を道の駅に捨てていったという話も聞いた。放射線の空間線量がリアルタイムで表示されるようになっても、不安は解消されない。精神的な拠り所になる家族で感情的に分裂するのは、あまりに悲しい。

 
避難した人が避難先で、自分が避難者であるという事を隠していることが多いというのもわかる。学校でのいじめにが話題になったが、職場で強制的におごらされたという話も聞いた。支援や応援する対象ではなく、ひがみやねたみの感情の攻撃を受けるいじめの対象となってしまった。引っ越しを余儀なくされる人もいたと聞いている。今も約8万人が避難中で、そのうち県外が4万人。私が住む地域でも、避難している人の家が増えてきたが、自治会に入らない人もいる。家の塀に落書きした事件の話を聞いたりしたが、家のばぁちゃんのお友達のように、避難先の住民と友だちになって溶け込んでいる人もいる。

 
放射線の個人的な感受性は一人ひとり違うので、何が正しいのかわからない。人は他人の判断と行動を認めることは難しいらしい。人には自我同一性があるから、仲のよかった人が立場の違いから分かれてしまうことも数多く見てきた。原発の避難の問題だけでなく、一朝一夕に解決する問題でもないが、原発事故の教訓として記す。

 

※写真は娘の通う相馬の小学校。校内にあった汚染土を運ぶ工事が始まっていた。

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