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2016.03.09 Wednesday

当時の話2 桜の咲く頃

 

 原発が爆発して、病院が閉鎖されると、薬が処方されなくなった。医師や看護師にも家族はいるし、自分の身の安全は守る権利はある。精神障害の人たちはパニック状態になっていた。薬剤師は、基本的に医師の処方箋によって薬を出すから、薬があっても出せない状態となる。薬をかき集め、クビ覚悟でお薬手帳を基に処方した人はいた。皮肉な事に、原発から30キロ圏内の南相馬市には精神科があったが閉鎖され、その外の隣りの相馬市には精神科がなかった。

  相馬に、浪江町にあった作業所のコーヒータイムの橋本さんが一軒家に避難していて、小高赤坂病院の須藤さん、雲雀ヶ丘病院の米倉さんなどが集まって、作戦本部?を作っていた。桜の花咲く頃、2011年4月には、南相馬で活動できる状況でなく、隣りの相馬が拠点となった。有志が集まり、毎晩、お酒を飲みながら?必要な事を見つけ、動いていた。インターネットによる医療機関や薬の情報提供を行ない、全国や県立医大とのパイプ役となり、相馬公立病院に精神科の医師を派遣してもらい、被災地のメンタルケアを担う存在となっていく。今ではクリニックに医師が在駐し、子供たちや仮設住宅など避難している人を支援し続けている。

(写真はタカノシンジさん。)
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