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2015.10.20 Tuesday

お別れの日


 Aさんが亡くなった。大きな社会福祉法人で働いて、定年になっても小規模作業所の所長として働き、3つの作業所を合併してNPO法人にして、今年度で引退するはずだった。人生のほとんどを障がい者福祉に捧げたと言っても過言ではない。南相馬の福祉祭りでは、引き受けてのない世話人や、市の自立支援協議会の会長も引き受けてくれていた。私も応援したし、応援もしてもらった。南相馬ファクトリーがNPO法人になる時に、副代表を引き受けてもらった。本当に、ありがとうございます。やすらかにお休み下さい。合掌。



2014.03.03 Monday

ひなまつり

写真 (74).JPG

 ひばりワークセンターの雛飾り。バッチの発送をお願いしている作業所ですが、仕事は向上の下請け、紙と竹、桑の木で作る彼岸花 の製作の仕事が戻り、熱心に仕事をしていました。バッジの仕事が少なくなったのは、気になりますが....。



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 小学生の娘が、相馬の中学校の生徒が書いた文章を持ってきました。一昨年、北海道に行く保養プログラムで一緒になって友達なのだそうです。読んでいて、落ち込んいる場合ではないなぁと思いました。文中の「震災から3年目、支援の時を超え、....」新たなステージで、つながって、伝えていくこと。前を向いて生きていくことが使命ですね。

2012.03.30 Friday

ひばりワークセンター

 


 ひばりワークセンターは、ひばり作業所、ポニーハウス、身友会が合併して、ひとつになった。ファクトリーの各作業所で作ったバッジを箱に詰め、発送しているのが「ひばり」さんだ。手をつなぐ親の会が母体の作業所で、工業製品の下請けの仕事や、彼岸花の造花などを作っていたので、バッジつくりの品質は高い。箱詰めの作業もきれいで、並べ方にもこだわりがあるようだ。ひばりさんへ行くと、笑い声が絶えなくて、それでいて、仕事を黙々とこなしている。

 元所長のMさんは、配送ミスがないように気を使っていて、プレッシャーで、週末はヘトヘトになると言っていたが、それでも生き生きして見える。息子さんも作業所を利用していて、同じようにほかの利用者への、愛情と責任があることが見てわかる。温かで、気持ちのいい環境で作業できる雰囲気は、彼女たちが築いてきたものだ。

(Photo by ザルツさん)
2011.09.27 Tuesday

生産好調!?



 今日は、各作業所にファクトリーの資料を配るため、巡回しました。

 写真は「ひばり就労支援作業所」の皆さんです。黙々と生産しています。
バッジは、正確無比なこだわりを持つ人が担当。完璧な仕事をしています。
お〜すごい。私より早いし、うまい。適性が生かされていますね。
うれしくなってきます。

 箱詰めと配送業務を、ひばりさんにやってもらい、分業が進み、私も楽になってきました。
ひばりさんは、工業製品の下請けの仕事が多かった作業所ですから、早くて正確な仕事をします。「えんどう豆」の3倍以上の生産量です。でも、それぞれ違っていいと思うんです。

 ファクトリーという共同体を作り、いくつかの作業所に仕事を振り分けるのですが、仕事に関する価値観とスタイルに違いがあり、おもしろいです。いっぱい売れた方がいいのですが、「えんどう豆」はこれ以上、生産量は増さず、自分のペースでいきたいと思います。
2011.09.22 Thursday

震災後の状況

 

 震災前、南相馬市にある、ひばり就労支援作業所、ポニーハウス、身友会の3つは、合併するため、準備をすすめていた。福祉サービスの向上と経営的な安定のため、4月からは、障害者自立支援法の就労継続支援B型の事業所として、スタートするはずだった。3月10日には、県の建築審査も終わっていたが、翌日、東日本大震災と原発事故のため、3つの施設は休業状態となった。認可される前に事故が起きたので、福祉サービスの事業所として、職員に給料が払えない状態となった。

 「ひばり就労支援作業所」は、主に知的障がいの方が働いていた作業所である。電子部品の下請けを行っていた。地震の後、従業員が避難した工場に納品しに行ったそうだ。その後、工場はしばらく休業したが、連絡はかかさず、再開の時には、すぐ連絡して工場の生産を担った。メンバーは皆、黙々とスピーディに仕事を行っている。 

 「ポニーハウス」は、精神の方が働く作業所だ。メンバー、スタッフいても再開できない状態になった。メンバーが戻ってくると、居場所として施設を開放していた。所長は、県から認可をもらうべく、努力していたが、県でも非常事態のため、思うように話が進まない。

 「身友会作業所」は、身体の作業所。手に麻痺がある元大工のKさん(写真)は、職人タイプの方で、震災前は、木工製品を作っていた。資源回収も熱心で、よく町中を走っていて、車ですれ違うと、いつも笑顔で声をかけてくれる。原発から20キロ圏内の警戒区域に大工道具を置いてきていて、現在、木工は休止しているそうだ。しかし、いち早く仕事を再開し、資源回収を行っている。

 作業所のメンバーの工賃(月給)は、元々、1万程度と少ないが、この時期、仕事がなくなって、3000円ほどに落ち込んだ。スタッフに関しても、5月〜7月までがボランティアとして動かなくてはいけなかった。それでも、作業所を再開するため、それぞれが献身的に動いていた。まったく、この人たちは、何に動かされているのだろう?

 そして震災から、半年が過ぎ、ようやく8月に県の事業認可が下り、事業を開始することができた。それぞれの作業所が、カンバッジの仕事をしていて、製造、配送、印刷など役割分担し行っている。今まであった仕事も、すこしだが戻って来はじめている。みんながいきいきと仕事をしている姿に、私も元気をもらう。震災後、事業所を越えて、連携が強まってきている。



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