震災前、南相馬市にある、ひばり就労支援作業所、ポニーハウス、身友会の3つは、合併するため、準備をすすめていた。福祉サービスの向上と経営的な安定のため、4月からは、障害者自立支援法の就労継続支援B型の事業所として、スタートするはずだった。3月10日には、県の建築審査も終わっていたが、翌日、東日本大震災と原発事故のため、3つの施設は休業状態となった。認可される前に事故が起きたので、福祉サービスの事業所として、職員に給料が払えない状態となった。
「ひばり就労支援作業所」は、主に知的障がいの方が働いていた作業所である。電子部品の下請けを行っていた。地震の後、従業員が避難した工場に納品しに行ったそうだ。その後、工場はしばらく休業したが、連絡はかかさず、再開の時には、すぐ連絡して工場の生産を担った。メンバーは皆、黙々とスピーディに仕事を行っている。
「ポニーハウス」は、精神の方が働く作業所だ。メンバー、スタッフいても再開できない状態になった。メンバーが戻ってくると、居場所として施設を開放していた。所長は、県から認可をもらうべく、努力していたが、県でも非常事態のため、思うように話が進まない。
「身友会作業所」は、身体の作業所。手に麻痺がある元大工のKさん(写真)は、職人タイプの方で、震災前は、木工製品を作っていた。資源回収も熱心で、よく町中を走っていて、車ですれ違うと、いつも笑顔で声をかけてくれる。原発から20キロ圏内の警戒区域に大工道具を置いてきていて、現在、木工は休止しているそうだ。しかし、いち早く仕事を再開し、資源回収を行っている。
作業所のメンバーの工賃(月給)は、元々、1万程度と少ないが、この時期、仕事がなくなって、3000円ほどに落ち込んだ。スタッフに関しても、5月〜7月までがボランティアとして動かなくてはいけなかった。それでも、作業所を再開するため、それぞれが献身的に動いていた。まったく、この人たちは、何に動かされているのだろう?
そして震災から、半年が過ぎ、ようやく8月に県の事業認可が下り、事業を開始することができた。それぞれの作業所が、カンバッジの仕事をしていて、製造、配送、印刷など役割分担し行っている。今まであった仕事も、すこしだが戻って来はじめている。みんながいきいきと仕事をしている姿に、私も元気をもらう。震災後、事業所を越えて、連携が強まってきている。