最終章
- 2018.11.15 Thursday
- 18:56
南相馬の鹿島区にある仮置き場から、放射性廃棄物のプレコンパツクの移送が行なわれていた。クレーンでダンプに載せて、福島第一原発近くの中間保管の場所に運ぶ。いよいよ最終章に入る。といっても結末は100年後か?
- その他
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南相馬の鹿島区にある仮置き場から、放射性廃棄物のプレコンパツクの移送が行なわれていた。クレーンでダンプに載せて、福島第一原発近くの中間保管の場所に運ぶ。いよいよ最終章に入る。といっても結末は100年後か?
・震災前から原発では小さな事故が起きて、しばしば東電の会長が知事に詫びいれていた。だが知事より偉そうな態度で、私には国のお墨付きの事業だから、オレの言う事をきくべきじゃないのか、というような態度に見えた。その後、知事は汚職の疑いをかけられ辞職することになった。
・東電は、震災前にラジオを使って広報しており、原発は絶対安全であると明言していた。地球温暖化のため、不可欠のようにも言っていた。この人たちが莫大な費用のかかる津波の対策を積極的に行なうようには見えなかった。利益追求が企業の目的だから、都合のいい事実だけを切り取るように思えた。
・原発をコントロールできても、どんなに地震対策をしても、ある程度の比率でそうした人が存在するし、都合のよい解釈と不適切な行動をとる。100年単位で、巨大地震と津波がくれば、おそらく同じような事故は起きるのはないか。
原発の再稼働や事故の責任について判決が出て賛否が分かれているが、裁判官の名前は忘れないようにしておこうと思う。
南相馬のあちらこちらにクレーンのアームが立ち、黒いピラミッドを作っている。
送迎中に見る風景だが、ここが特別な地域であることの証明のようなものだ。
これは仮置き場なので、いずれは中間処分場に運ばれるのだろうけれど、汚(けが)れたような雰囲気なので精神衛生上、良くない。
日増しに高くなって、塀の上からはみ出して、見えてしまうのが悲しい。
いっその事、高さ30mの四角錐の形にするとかと受けるかもしれないが、ブラック過ぎるかな。
自分の立場からしか物を見られない状態となると、違った考えを持った人の意見を受け入れるのが難しい。批判的な立場で言うと争いになる。宗教やイデオロギーで戦争になったりするが、原発事故が起きて、放射線の個人的な感受性や国が撒いたお金によって福島は分裂してしまった。
原発事故は明らかに人災であり、本来住民は、国会に押しかけ声を上げると思いや、避難する住民に対して賠償金が支払われ、シュプレヒコールをあげる人は一部の人に留まった。
放射線の拡散は線引きが難しく、原発から同心円で線引きしていたが、線の内と外で不満が生まれた。放射線量による避難指示区域が定められたが、避難者が他の地域で暮らす人のトラブルを多く聞いた。仕事がなくなってパチンコばかりしているとか、住民は一つになるというには程遠かった。避難した人が戻った時は、避難しないで残った人から、何で今頃戻ってくるの?と避難的に言葉が出た。
福島に住むのが好ましくないと思っている人はいて、爺婆と若夫婦が別々に暮らし、実家の野菜を道の駅に捨てていったという話も聞いた。放射線の空間線量がリアルタイムで表示されるようになっても、不安は解消されない。精神的な拠り所になる家族で感情的に分裂するのは、あまりに悲しい。
避難した人が避難先で、自分が避難者であるという事を隠していることが多いというのもわかる。学校でのいじめにが話題になったが、職場で強制的におごらされたという話も聞いた。支援や応援する対象ではなく、ひがみやねたみの感情の攻撃を受けるいじめの対象となってしまった。引っ越しを余儀なくされる人もいたと聞いている。今も約8万人が避難中で、そのうち県外が4万人。私が住む地域でも、避難している人の家が増えてきたが、自治会に入らない人もいる。家の塀に落書きした事件の話を聞いたりしたが、家のばぁちゃんのお友達のように、避難先の住民と友だちになって溶け込んでいる人もいる。
放射線の個人的な感受性は一人ひとり違うので、何が正しいのかわからない。人は他人の判断と行動を認めることは難しいらしい。人には自我同一性があるから、仲のよかった人が立場の違いから分かれてしまうことも数多く見てきた。原発の避難の問題だけでなく、一朝一夕に解決する問題でもないが、原発事故の教訓として記す。
※写真は娘の通う相馬の小学校。校内にあった汚染土を運ぶ工事が始まっていた。
常磐線の相馬〜浜吉田間の再開を告知するボード。
宮城県の岩沼駅(常磐線の終点)にあります!
あと12月10日まで、あと10日でございます。(11月30日現在)テンション上がるなぁ。
結構、高架が多くて、車窓からの景観が楽しみです。
でも、直通バス(仙台〜相馬、南相馬)がなくなるとすると、ちょっと残念かも…..。
養護学校の高等部の通学は、義務教育でないので自力通学が原則らしいが、お父さんは困っていた。
明らかに一人で学校に行くには難しく、福祉作業所の移動支援を利用していたが、突然打ち切りとなってしまったからだ。県立の学校なので、県の教育的な問題として考えるべきか、移動支援と考え、障がい者の問題として福祉サービスを使うか、市の日中一時支援で対応するか、社会資源が少な過ぎる。
本来だと相談事業所、自立支援協議会で話し合う課題であるかもしれない。現状として困っている状況なので、すぐに対応する必要がある。県内、同じようなケースは考えられるので、問題提起は必要かな。
相馬市の新庁舎の完成を記念しこけら落としとして、シンガーソングライターの掘下さゆりさんのライブが、まだ使っていない議会室で開かれました。彼女は相馬出身で、震災の時は、避難所でボランティアをして、その後災害FM局のパーソナリティを務めました。相馬市のほとんどの学校を回り、生徒たちとオリジナルの曲でCD「スマイル」を作りあげました。その後も子供たちの音楽祭にもボランティで参加するなど、本当に市民のために尽力してきたステキな方です。今はお母さんになって、曲作りもパワーアップ。MC(お話)を聞いて、当時の記憶と今につながる歩みは希望を感じるものでした。
ライブには、ほとんどの議員がボランティアとして動いていて、相馬も捨てたもんじゃないと思いました。
復興の象徴としての新庁舎の完成にふさわしい企画であったと思います。
がんっぺ!さゆりさん。がんっぺ!相馬。
小さなマイクと賛成か反対かを示すスイッチは、BOSHの製品でした。
家具は山形(天童木工?)らしいです。一枚板と言ってましたから、結構なお値段でしょうね。
きょうされんの物販のため、新しくできた相馬市役所にチラシを届けにいってきました。
市の庁舎は、和風なデザインで、シンプルで使いやすそうな感じです。
玄関ホールに、岡本太郎と金沢翔子さん(ダウン症の書家)の作品が展示されていました。
こちらが玄関。外観は学校のような感じもしますが….。
中はこんな感じです。オフィスのような内部空間で、通路が広い。
災害時の住民避難のことも考えてのことらしいです。
復興をバネに次々に仕事をしてきた相馬市ですが、福祉の方に少し力を入れてほしいなぁ。
相馬市にあった仮設住宅の解体が始まっていた。
3000戸分あった大野台の仮設住宅には、相馬市のほか、原発事故で避難した南相馬、浪江、飯館の人たちも入っていているが、解体したのは相馬市の分で、原発被害で避難している町村の方はまだ残っている。
あれから5年7ヶ月、月日の経つことがこんなに早いとは….。
それにしても、工事現場は、分解というより解体なんだなぁと思ってしまう。
仮設屋さんにしたら再利用するより、壊した方が儲かるに違いないということなのだろうなぁ。
こちらは飯館村の人たちの仮設住宅。まだ車がいっぱいだ。
来年の4月には、避難指示が解除される予定だが、村長選挙が告示され、現職の村長は村民を戻す方針。
もう一方の立候補者は、帰還には慎重な姿勢を示している。
サービス管理責任者の研修会に参加してきました。
えんどう豆、あさがお、にんじん舎など、約300名の受講者がいました。
福島は農業に力を入れている県でありますが、それにしても立派な建物。
国の考えてている福祉をインストールしてきました。
合理的な考えに現場がどれだけついていけるかですね。いくようにするのが、管理者の役目ですが….。
郡山で開催され、往復5時間という移動と6時間の座学がきつく、腰が痛い。
本番の研修は別に2日間、大丈夫か心配です。
プロジェクターで映すために屋内を暗めに設定していたのですが、おじさんには文字が見えにくい。
既に戦力外になってしまいそうです。