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2016.03.28 Monday

サンプル

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 福島県立医大から届いた通知は、福島は大きく2つの地域に分け、22歳または23歳までは2年に1度、25歳以後は5年に1度、甲状腺の検査を行なうという内容であった。震災から5年が経過し、いよいよ放射線と甲状腺がんの因果関係が明らかになっていく。貴重なデータだが、サンプリングされる気持ちは何とも言えない。きっと、因果関係は見られないとドクターはいるのだろうなぁ。


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2016.03.22 Tuesday

戻りつつある日常

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 南相馬市の原町区でも、田んぼの準備が始まっていた。この地域では、原発事故で長いこと、田んぼを作らなかったが、一部でも再開したことがうれしい。梅の花を見ると、原発が爆発して誰もいなくなり、自衛隊の車両しか走っていない時のことを思い出すのは、困ったものだ。視覚的にでも、米が実り黄金に輝く大地の風景が見れると考えると、風評で米が安く売りたたかれても、いくらかマシのような気がする。春の陽射しの中で、ゆっくりと時間が流れていく。
2016.03.19 Saturday

さよなら、ひたちくん。

 
 
 とうとう「スーパーひたち」が、解体されることになり、車で運ばれていきました。私は仕事で行けなかったけれど、友達のエチゴくんが現場に行って写真を撮って送ってくれました。彼は車いすに乗っていますが、活動的で写真も得意です。何となく電車にも人格があるような気がして、さみしいものですね。





2016.03.11 Friday

5年目



太鼓での般若心経(相馬市の尾浜) 

報道で3.11の振り返りの映像が流れ、忘れたいという気持ちの蓋を開けられる気分になる。マスコミはここぞとばかり、福島にも押し寄せ、知っている人たちも取材を受けて大変であろうと想像する。あの時の出来事が忘れられる事は悲しいが、再生に一歩を踏み出したい。でも、気持ちの整理ができていないと苦痛だけが伴い、感情が表出できなくなってしまう。多くの人が、失った人やあの時の情景が昇華できずにいて、小さなきっかけでフラッシュバックする。それでも、二度と繰り返してほしくないというために、伝えたいという気持ちを持ち続けている人がいる。

  リーダーが言う堅牢な国の発言は、津波に負けない原発が壊れないイメージだろうが、人間としての奢りが、再び大きな災害を生み出す土壌とならないか心配である。自然との謙虚な姿勢で関わる必要があるのではないか。自然に対し、アンダーコントロールち言う訳にはいかない。




2016.03.05 Saturday

7日間の記録


 NHKスペシャルで放送された原発事故後の7日間の出来事。この事実を知ってほしいために、ずっとブログを書いてきたように思います。やっと放送してくれたという感じです。障がい者や高齢者など避難できい災害弱者が見捨てられ命を落としたのに、ほとんど天災であるかのように、誰も責任をとらないというのはおかしいと思います。

 浪江町の保健士だったFさんや地元の知っている人たちがたくさん出ていて、胸が苦しくなりました。国は原発周辺の10キロの外の市町村には、避難計画を作らせなかったんですよ。屋内退避の指示が出て、食料が入ってこなくなったのは、実は運送業者に国が入るなと指示していたとは驚きです。民間の事業者の判断ではなかったんですね。これを対岸の火事にしてはなりません。原発を止めない限り再び事故は起きるでしょう。緊急時に、いつも訓練している消防のような組織でない限り、迅速な判断と指示はトップダウンではできないことは明らかです。


発達障害の子供ど持つお母さんのシーンで、後に南相馬ファクトリーの建物が映ってました。

 再放送 3月10日(木)深夜1:30〜

 
2016.03.04 Friday

緑の扉


TBSニュース23 「GReeeeN」のHIDEさん、福島で遺体“検死”初告

 その当時、私は相馬市のボランティアで、そこで支援物資の仕分けをしていました。同じ敷地にHIDEさんがいたんですね。

 同級生の顔を見つけましたが、声をかけることができませんでした。彼は海の近くに住んでいていたからです。津波で家を流されましたが、彼の娘さんがファクトリーで、バッジのデザイナーとして働いています。
2016.03.03 Thursday

みらいへの手紙




 福島県が作った短編アニメーション。10編のお話は、物語と言うには断片のようなもので、物足りないような気もする。7番目の「おだかの昼ごはん」は、今年の3.11でお店を閉めるそうで残念だ。暗い話題を伝えることは、誰かを傷つけてはいないか?被災している人の気持ちをイメージするのは難しい。知事が言うように、来て見てもらうののが一番、てっとり早い。
2016.02.28 Sunday

外された幻想


 双葉町にあった「原子力、明るい未来のエネルギー」の文字が外された看板。人がいない町で、看板の文字が落下する危険があったと思えない。危険だったら、ゲートごと外すべき。原子力発電を誘致して推し進めた人。結果、子孫の繁栄はなくなってしまった。再び経済を優先するために原子力発電を動かす国。再開させようとする地元の首長。再び事故は起きるだろうが、せめて福島第二だけは動かさないで欲しい。


2016.02.25 Thursday

地方紙と全国紙

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 東京電力がメルトダウンをした原子炉の情報を出さなかったニュースが流れた。震災から5年経ったこのタイミングでの報道。80歳の祖母でさえ怒りで、感情がおさえられない。職員の間でも話題になった。メルトダウンという言葉を使わなかったのは、パニックを起こさないためとも考えられるが、情報をストップしたのは東電ばかりでなく、実は政府に情報は上がっていて、避難にかかる賠償も考慮して、判断を先送り?過小評価する方向にしたとも考えられる。

 震災後は、新聞やテレビなどの報道も、バイアスがかかっているのがあたりまえと思うようになった。この話題は、福島の地方紙ではトップだが、なぜか全国紙では一面に載っていない。ずっと読んでいた新聞であるが、読むのは止めるかと思ってしまう。裏で力が動いているのか、編集部の価値観がこれなのか。また各地の原発で事故が起きた時、命を守る情報は流されなかったり、判断を出すまでにタイムラグが生じ、危険な状態になることを意味するが、やはりこの国は経済の方が大事なのですね。
2016.02.23 Tuesday

記念写真


 南相馬市小高区の避難解除が、今年の4月に解除される予定で、ようやく住めるはずであったが、一部の住民は除染が不十分であるとして、避難解除が時期尚早であると反対している。少しでも早く我が家に帰り、生活を立ち直したい人もいて意見は分かれる。賠償の事もあるので、問題は複雑になり、小高区以外の南相馬の市民は、冷ややかに見ている人も方が多いかもしれない。震災から5年が経過しても、まだこんな状態が続いている。

 小高区で陶芸をしていた羽下さんの窯開きの時の写真が出てきた。羽下さんは茨城に引っ越し、駅前で旅館を開いていた女将は、震災後に旅館をリフォームして避難指示の解除を待っている。引き裂かれてしまった仲間たち。戻る人、戻らない人、それぞれの道を歩んでいるが、意見が違う人との交流は少なくなり、コミュにティは破壊されてしまった。
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