170年の風評

  • 2016.06.28 Tuesday
  • 22:52

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環境省は、汚染土を再利用し、土木工事で再利用?(不正利用?)しようとした。だが、盛り土(客土)では70年の耐用年数としているのに対して、安全な数値(5,000ベクレルから100ベクレル/kg減衰する)まで下がるのに170年かかると報道され、都合のよい計画であることが浮き彫りになった。汚染された土は、8,000ベクレルを超えると指定廃棄物扱い(危険物)となるが、国は、それ以下の土は処分が大変になるので、近隣の市町村に土やコンクリートを被せて、見えないようにしておこうという作戦を立てたが、そうは簡単にはいかないようだ。

 

 

20キロ圏内に行くと、除染が進めば進む程に、日増しにフレコンバックの数は増え続け、20キロ圏内の町村の首長は、故郷に処分場とする事を受け入れ始めている。広大な土地は、土の墓場になってきて正直、見るのが辛い。一方で、避難指示の解除された20キロ圏内の町村に、JAがお米の精米や貯蔵施設を作って、被災した農家を支援し、町を再生させようとしているニュースが流れた。おそらく税金で作られているに違いなく、本当に有効活用できるのか心配になった。汚染土は、30年間の中間保管された後、県外で最終処分されるそうだが、そんなウソはつかない方がいいと思う。今さえ良ければ、お金がすべてという考え方が、身を滅ぼす。与党も野党も、原発の問題は選挙の争点にはしたくないようですね。

失意

  • 2016.06.19 Sunday
  • 22:40

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国策として推進してきた原子力発電の危機に、国は国民の命を守らず、何を守ろうとしたのだろう?

原発周辺に住んでいる人は、国民ではないということなのか?

「みなさんの命に直ちに問題はない」と言い、パニックを回避した枝野幹事長ほか当時の民主党政権。やはり政府は知っていて情報を操作していた。

 

ほとぼりが覚めて、原子力発電を動かすことを決めてから、後だしで次々に出してくる事実。

失敗を認めて生かすことが大事なのに、国民に判断をさせず、答えを誘導するマスコミの構図。

確かにスポンサーの意向は大事ではあるし、マスコミの人でも悔しいと思っている人もいるんだろうが、いくらなんでもひどい話だなぁ。

 

NHKですら、このニュースを何番目のネタにすることに危険な匂いを感じる。

福島でも怒り爆発というニュースは聞かないが、この国は本当に大丈夫なのだろうか?

経済優先だけしか伝わってこない国って、どうなんだろう?

ブレーキが効いていない車に、乗らされている感じです。また同じことが起きますよ。

閉校

  • 2016.06.15 Wednesday
  • 22:38

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相馬市で放射線量が高い玉野地区の幼稚園、小学校、中学校の3校の閉校が決まった。伊達市や飯館村に近い山側のほうにある地域で、人が少ない地域であったが、原発事故の影響で子供の数が減ったことも原因だと思われる。何だか寂しいなぁ。車で30分以上の通学を余儀なくされる。この看板は国道115号線にあるものだが、小中の文字が一緒になっていて、こんな字があるのか?とお気に入りの看板だったが、今後、取り外されることになると思われる。

タケちゃんとダンプカー

  • 2016.06.11 Saturday
  • 22:56

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 タケちゃんはダンプカーに向かって、手を降り続けました。そして、タケちゃんの底抜けに明るい笑顔は、全国から支援に入ったダンプの運転手を笑顔にしたのです。ここは福島県の相馬市にある「ゆうゆうクラブ」。震災直後に立ち上がった障がい児の放課後支援をしています。相馬市もまた5年前の東日本大震災の津波で被災し、465人の方が亡くなっています。ゆうゆうクラブのある場所も海の近くにあり、直撃ではなかったので建物は押しつぶされ、約1m程の床上浸水の被害を受けています。原発事故でその周辺の福祉サービスの事業所は閉鎖され、障がい児の放課後デイサービスの事業所も例外ではありませんでした。

 

 風光明媚な松川浦の見事だった松の林は津波で流され、消えてしまって、松林を再生させようというプロジェクトが進んでいます。防潮堤を兼ねて山砂で3m程かさあげをし、そこに植林する計画で、膨大な土を運ぶことになりました。道路は、北海道から九州まで全国から応援に入ったダンプカーが走り、ゆうゆうクラブの敷地の前で曲がり工事現場に入っていくのです。当初、振動や騒音、交通事故の心配など、これは困ったことになったなぁと思っていましたが、その心配は見事に裏切られました。

 

 タケちゃんは、ゆうゆうクラブに通う小学4年生です。当時は幼稚園。現場の入り口には、美人の若い誘導員のケイちゃんがいて、タケちゃんやゆうゆうクラブの人たちとお友達になりました。雨の日も風の日も旗を降り続ける彼女。安全確保のお仕事は勿論、子どもたちにお菓子の差し入れをしたり、してもらったりと交流が続いていきました。

 

 そのうちタケちゃんは、ゆうゆうクラブの前で、「ごくろうさま!」というプラカードを持って、ダンプカーに手をふるのが日課になっていきました。ダンプカーのおじさんたちは、おそらく単身赴任で福島に出稼ぎにきた人たちがほとんどで、家族の大切さも身にしみて感じているはずで、タケちゃんは大人気。最初は愛想が悪い人も、次第に手を振って挨拶してくれるようになり、「ほれ、こいづやっから食え!」強面の運ちゃんから差し入れが届きました。

 

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 ある日、メールでタケちゃん宛に自称ダンプ爺さんからメッセージが届きました。

『いつも笑顔で手を振ってくれてありがとう。とあの子に伝えて下さい!復興事業とはいえ騒音は酷いし埃は沢山巻き上げるし、迷惑ばかりなのに、私でも何か手伝える事が有ればと思います。』

 

 この記事が本に載る頃には、かさ上げの工事が終了し、ダンプは走ることがなくなり普段の静かさを取り戻しているはずです。先日、誘導員のケイちゃんがお別れの挨拶に来てくれ名残りを惜しんでいました。でも、きっとまた遊びに来てくれることでしょう。

 福島では、除染作業員や復興に関わる仕事のために、全国からたくさんの人が入っています。ホテルは平日ほど予約がとれないほどいっぱいで、仮設の宿泊所も次々に建てられ、食事時、コンビニは工事の人で溢れている状態です。夜の飲み屋さんでのトラブルも多く、子どもや女性が車に連れ込まれるなどマスコミでは流れない事件が起きて、安心して生活している地域とは言えません。でも問題を起こす人は一部の人であり、復興に携わる人たちのほとんどは普通の人であることを、タケちゃんは教えてくれたのでした。そして、除染や原発事故の後始末をしている人に感謝していることも事実です。

 

 さて、タケちゃんの通っていた「ゆうゆうクラブ」は、震災から5年が経過し、復興支援の助成金で行われてきた県の事業の打ち切りが決まってしまいました。一人の女性のボランティアから始まった活動でしたが、利用者は増え、JDDnet(一社)日本発達支援ネットワークなど、全国から応援に入り、地域ミーティングを開くなど、地域の福祉資源に成長してきました。私も活動を応援してきた経緯があり、震災後につながった地元の人に声をかけ、ふつうの福祉でいいから、選択できる社会資源を作っていこうと、有志が集まりNPO法人みんなのしあわせプロジェクトを作りました。そして、平成28年の4月から「ゆうゆうクラブ」放課後等デイサービスと、就労継続支援B型「工房もくもく」との多機能型で事業をスタートすることになりました。

 

たけちゃん2 (1)

 

 「工房もくもく」は私の担当で、障がいのある方の居場所と「働きたい」を応援します。警戒区域の福祉施設で働いていた職員や、警戒区域にある家に戻れないため、県外から避難していた方が相馬に戻ってきた利用者もいます。しかし、震災で被災したからという理由ではなく、この地域で必要なことをすることが復興につながるものと思います。もともと障がい者福祉が盛んな地域ではありませんが、あきらめないで一歩一歩進んでいくしかないですね。やっと地元で、福祉ができるスタートラインに立てたような気がしています。

(原稿はコトノネに寄稿したものです。写真は菅野友美子さん撮影)

 

試運転

  • 2016.06.10 Friday
  • 22:52

おだか

 

JRは、原発事故で不通だった原ノ町駅から小高駅の区間で、再開に向けて試運転をおこなった。町に鉄道が走るというのは、本当に明るい気持ちになる。4年前、「あまちゃん」で電車が走ったシーンのように、相馬駅と原ノ町駅間が再開した時は、えんどう豆で手を叩いて喜んだものだった。震災から5年が経ち、7月12日に避難解除される南相馬市小高区。人がいるから町ができるではなく、町を作って人を戻すしかない。故郷の町で暮らせる日を、どれだけ待ちわびたことだろう。戻った人は応援したい。

はまなかあいずTODAY   6月9日放送分 「南相馬小高〜原ノ町運転開始」

サンプル

  • 2016.03.28 Monday
  • 05:58
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 福島県立医大から届いた通知は、福島は大きく2つの地域に分け、22歳または23歳までは2年に1度、25歳以後は5年に1度、甲状腺の検査を行なうという内容であった。震災から5年が経過し、いよいよ放射線と甲状腺がんの因果関係が明らかになっていく。貴重なデータだが、サンプリングされる気持ちは何とも言えない。きっと、因果関係は見られないとドクターはいるのだろうなぁ。


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戻りつつある日常

  • 2016.03.22 Tuesday
  • 22:26
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 南相馬市の原町区でも、田んぼの準備が始まっていた。この地域では、原発事故で長いこと、田んぼを作らなかったが、一部でも再開したことがうれしい。梅の花を見ると、原発が爆発して誰もいなくなり、自衛隊の車両しか走っていない時のことを思い出すのは、困ったものだ。視覚的にでも、米が実り黄金に輝く大地の風景が見れると考えると、風評で米が安く売りたたかれても、いくらかマシのような気がする。春の陽射しの中で、ゆっくりと時間が流れていく。

さよなら、ひたちくん。

  • 2016.03.19 Saturday
  • 05:49
 
 
 とうとう「スーパーひたち」が、解体されることになり、車で運ばれていきました。私は仕事で行けなかったけれど、友達のエチゴくんが現場に行って写真を撮って送ってくれました。彼は車いすに乗っていますが、活動的で写真も得意です。何となく電車にも人格があるような気がして、さみしいものですね。





5年目

  • 2016.03.11 Friday
  • 22:39


太鼓での般若心経(相馬市の尾浜) 

報道で3.11の振り返りの映像が流れ、忘れたいという気持ちの蓋を開けられる気分になる。マスコミはここぞとばかり、福島にも押し寄せ、知っている人たちも取材を受けて大変であろうと想像する。あの時の出来事が忘れられる事は悲しいが、再生に一歩を踏み出したい。でも、気持ちの整理ができていないと苦痛だけが伴い、感情が表出できなくなってしまう。多くの人が、失った人やあの時の情景が昇華できずにいて、小さなきっかけでフラッシュバックする。それでも、二度と繰り返してほしくないというために、伝えたいという気持ちを持ち続けている人がいる。

  リーダーが言う堅牢な国の発言は、津波に負けない原発が壊れないイメージだろうが、人間としての奢りが、再び大きな災害を生み出す土壌とならないか心配である。自然との謙虚な姿勢で関わる必要があるのではないか。自然に対し、アンダーコントロールち言う訳にはいかない。




7日間の記録

  • 2016.03.05 Saturday
  • 22:44

 NHKスペシャルで放送された原発事故後の7日間の出来事。この事実を知ってほしいために、ずっとブログを書いてきたように思います。やっと放送してくれたという感じです。障がい者や高齢者など避難できい災害弱者が見捨てられ命を落としたのに、ほとんど天災であるかのように、誰も責任をとらないというのはおかしいと思います。

 浪江町の保健士だったFさんや地元の知っている人たちがたくさん出ていて、胸が苦しくなりました。国は原発周辺の10キロの外の市町村には、避難計画を作らせなかったんですよ。屋内退避の指示が出て、食料が入ってこなくなったのは、実は運送業者に国が入るなと指示していたとは驚きです。民間の事業者の判断ではなかったんですね。これを対岸の火事にしてはなりません。原発を止めない限り再び事故は起きるでしょう。緊急時に、いつも訓練している消防のような組織でない限り、迅速な判断と指示はトップダウンではできないことは明らかです。


発達障害の子供ど持つお母さんのシーンで、後に南相馬ファクトリーの建物が映ってました。

 再放送 3月10日(木)深夜1:30〜

 

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