福島第一原子力発電所から20キロ圏内の警戒区域が解除され、南相馬市の小高区へ入って行くことができるようになった。えんどう豆を支援してくれている「MY LIFE IS MY MESSAGE」というプロジェクトでお世話になっている山口洋さん、渡辺圭一さんたちが南相馬に来てくれて、現状を知ってもらうために、小高区に入った。
正直、震災後、地震と津波の被害の光景を見ることはつらくて、写真はほとんど撮っていない。自分のふるさとが、がれきになったり、何もなくなってしまっている状況を、客観的にみることができなかったためだ。でも、あれから1年が過ぎ、前を向いて行かなければならない時期になっているように思えて、現地の人間として、伝えることも必要であると思い、同行することにした。

住民が数千人の小高の街には人影がなかった。原発事故が起きて、南相馬からほとんどの人が避難した3月20日頃のことを思い出す。信号だけが動いていて、まるで映画のセットのようなSFのような光景。小高に住む養護学校に子どもを通わせているお友だちが、不気味で住めないと言っていたが、その通りだった。どうして警戒区域を解除したのだろうか?と思うが、市は住民が戻って復興させるため、国は余計なお金を出したくないためだろうか?街に住む人の気持ちを考えると、胸が詰まって言葉にならない。

海岸線から5キロは離れているだろうか。市街地の方まで津波は押し寄せている。海の近くにあった車は、押しつぶされていて、まだ原型を留めている車は、津波で運ばれてきたものだ。警察が入って、瓦礫は片づけられたが、所有者が避難している車は、所有権のことがあって片づけができないようだ。1年前の事がフィードバックし、胸が苦しくなる。

津波で被災した海岸の近くにある集落は、コンクリートの基礎だけが残って、庭の花が咲いていた。住民のおじさんが犬を連れて、軽トラで、自宅付近の片づけをしに来ていた。そこにどんな物語があったのだろうか、過去の記憶と、未来まで失って見えるのだけれど、人はそれでも前を向いて動き出す。津波に被害にあった所は、瓦礫は片づけられ、人間のたくましさを見ることができた。でも、小高はどうなのだろうか?人が住める環境として、再生ができるのだろうか?

そこは地盤沈下で、数キロさきまで、海水が入ったままで、浦のようになっていた。壊された建物は揚水ポンプ場で、もともと地盤は低いと思われるが、それでも原発事故さえなければ、農地を取り戻したことだろう。ここでは、時間が止まっているように見える。1年前にあった事故を他人事のように、原発を稼働しようとする人々。見てるとつらいです。人間ってそんなに愚かな動物なのでしょうか。被災地ツアーという言葉は嫌いですが、原発の近くに住んでいる人には、見に来て感じて、答えを出してほしいと思うのです。

それでも季節は流れ、人は生きていきます。自分の人生もちっぽけな花のようなものなのかなぁと思いながら、えんどう豆に戻ってきました。きれない花ではないけれど、日々、家族やえんどう豆の人たちと、幸せに暮らせたらと思うのです。