MY LIFE IS MY MESSAGE

  • 2012.05.15 Tuesday
  • 22:13
 

 バッジを作ってもらった縁で、「MY LIFE IS MY MESSAGE 」というプロジェクトから支援を頂いています。大好きなHEAT WAVE の山口洋さんと矢井田瞳さんたちが、アラバキロックフェスに出演するというので、販売のために招待されました。ほんと、アーティストという人たちは、全力で自分を表現している人たちなのだと思いました。すごく感動をもらいました。ヤイコさん(ヤマハミュージック)、渡辺圭一さんにもカンバッジを、作ってもらえる事になり、うれしさ倍増!ほんとに、ありがとうございます。

 プロジェクトは、相馬をピンスポットで応援しているのですが、そこに住む人の想いを大事に汲み取るというか、現地といっしょにプロジェクトを進めている姿勢があって、外から眺めているという状態では全くありません。何ができるか、何をしなくてはいけないのか、ぶつかりながらも前に進んでいく姿勢に、いつも勇気をもらっています。

 プロジェクトから、ウオーターサーバーの支援をして頂けることになりました。えんどう豆では、井戸水を使っているのですが、川の近くにあって線量が次第に増えてきて、市内の井戸が使用禁止になってくる所もあって、心配する声がありました。生きる基本となるものですから、ほんとにうれしいです。


長州からも応援!

  • 2012.05.14 Monday
  • 23:57


 山口県からボランティアに来てくれたyasuさん。Yu子さんとのツーショット。いい表情ですね。JDF被災地障がい者支援センターふくしま(郡山市)を通して、全国の施設などから、一週間単位でボランティアさんが入って下さっています。今月は、沖縄、鹿児島からも来ていました。その他に、個人でえんどう豆に、来て下さる強者もいて、感謝するばかりです。

 不思議なことに、ボランティアに入った人にとって、研修生との交流は、こころ温まる貴重な時間になるようなのです。そして、みんなニコニコして、帰っていく人が多いのです。それは、障がいを持っている人が、自分で稼げない、世話をしてもらうだけの人間ではなくて、重度の障がいがある人ほど、生きていることの意味を、教えてくれる存在なのだと私は思っています。みんなの笑顔が、どんなに価値のあるものか、来てくれたボランティアさんは、きっと理解してくれているように思うのです。

長居植物園スプリングフェア

  • 2012.05.13 Sunday
  • 23:37



 5月5日、6日に大阪の長居植物園で行われたスプリングフェアでカンバッジの販売ブースを出した様子を、大阪大学すずらんさんからご報告を頂きました。ありがとうございます。2日間で300個がほとんどが売れたそうです。 よかった〜!
 各地で販売していただいて、このカンバッジ事業が成り立っている事業ですから、うれしいことです。中には震災の復旧は進んで、心配はなくなっているのでは?と思う人がいるかもしれませんが、福島に関しては、あまり問題解決には至っていまくて、進展していないように思えるのです。

 バッジを購入してくださった福島の方が、「福島の祈りと言葉」を紹介してくれました。知人である、南相馬の北洋舎の高橋さんの記事が、私たち南相馬に住む人の気持ちを伝えてくれていると思います。ビジョンが必要な時期に入ってきていることを痛感します。原発事故で私たちは何を学び、これから行動していくべきなのか、考えさせられます。

「福島の祈りと言葉」

http://www.fukushima-no-inori-to-kotoba.jp/



コーヒータイム

  • 2012.05.12 Saturday
  • 23:07


 警戒区域の浪江町にあった「コーヒータイム」。町民の多くが二本松市に避難して、仮設住宅もあるので、二本松駅前の市が管理しているビルに就労Bの福祉事業所を開いた。隣はB1グランプリでも有名になった「浪江焼きそば」のお店も入っている。所長の橋本さんを訪ねた。

 浪江町の復興委員としても、町の復興計画に携わっている。住民を戻すには、仕事が不可欠であり、再生可能エネルギーを町の基幹産業として、風力発電や太陽光発電など、工場と働く人を現地で確保する考えのようである。放射線量は高くて、いまだに帰れない土地ではあるけれど、生活できる基盤を作ろうと考えているようだ。

 一年前、前に進むことができなくて、毎日のように相馬で話したが、よくここまでがんばってきたなぁと思う。しかし、これが仮設と考えると、さらに前を進まなくてはならないのだろうか。


帰郷

  • 2012.05.07 Monday
  • 23:42


 えんどう豆の利用者の羽下くんが、避難先の神奈川から、帰郷して、立ち寄ってくれた。羽下くんは町田の作業所に、元気に通っているとの事で、ほっとした。彼の済む南相馬市小高区は、警戒区域は解除されたが、放射線量は高く、住める状態でない。原発事故以来、会っていなかったY子さんとの再開を喜んでいた。

 陶芸家のお父さん(羽下昌方さん)は、芸術性の高い作品を作っていて、今、製作ができないことが、本当に惜しい。海外での評価の高かっただけに、油がのっているこの時期に、製作できないことは本当に無念であると思う。警戒区域が解除され、立ち入りが自由になったが、小高の家に帰ることは困難であると思う。作品を作る上で、住宅地の中にある神奈川での生活は仮の住まいであって、自然のある田舎の生活を望んでいる。工房を作るとなると、大きな出費のかさむ投資が必要になり、震災前に、新しい工房を開いたばかりでなので、悩むところだ。羽下くんの通う作業所も、新たに見つけてなくてはならない。

 江戸時代、相馬には、加賀(石川県)の方から、飢饉の時に移住した人が、たくさんいると聞く。我が家の母方の先祖も、その時、移住して来たらしい。今回も、福島から移住者が多く出るに違いない。

GW Final

  • 2012.05.06 Sunday
  • 22:06


 6月に開かれる「とっておきの音楽祭」の説明会に参加するため、仙台に向かう。今年は、えんどう豆ではなくて、「さぽーとセンターぴあ」での参加です。仙台東部道路から見える風景は、田んぼに水が張られ、津波の被害から復興に向かっている様子がわかりました。比べてはいけないと思っても、今年も米が作れない南相馬と比較してしまって、少しブルーになってしまう。それだけ、福島は深刻なんでしょうね。

 帰り道、高速を亘理で降りて、海岸線の近くの道路を走る。津波で直撃され、開発されないだろう更地。瓦礫の集積場、走り慣れた道だけど、震災前の景色がないことに驚かされる。失ったものの大きさに愕然とする。「ほっき飯」の、のぼり旗を発見。「宮城は、海産物は、まだ食えるのか、いいなぁ」とため息をつく。比べちゃいけなんだけど.....。


こどもの日

  • 2012.05.05 Saturday
  • 22:38
 

 こどもの日、子どもたちにせがまれて、近くの仮設のスーパーマーケットまで、サイクリング。歩いていたお婆ちゃんに、「こんにちは!」と挨拶をしている娘たち。さすが、ばあちゃんに育てられているだけある。こんな山なのに、1000人以上の人が住んでるんだから、ちょっと不思議な感じがする。相馬市の人だけではなくて、飯舘村や警戒区域の双葉郡の人もいる。

 2年がのびて3年という期限付きだと思うが、じいちゃん、ばぁちゃんにとって新しい生活を築いていくのは大変だ。仮設に住んでいる人で、仕事がない人も多いと聞くので、やることがないのはつらいと思う。だが補償があって、仕事をしようとしない人の話も聞く。何か歯車が狂って、聞きたくないような話も聞こえてくる。この混乱が、津波だけの問題だったらまだしも、原発の問題になると、輪をかけて、ややこしくなってくる。

SMILE TOGETHER

  • 2012.05.04 Friday
  • 23:49
 

 相馬で、坂本サトルさん、大森洋平さん、堀下さゆりさんのライブがあり、参加してきました。南相馬ファクトリーを応援してくれていて、バッジを作ってもらっています。堀下さんは、会場で「スマイル」のバッジを販売していました。「スマイル」は、相馬や南相馬の子どもたちと作り上げたCDで、売り上げは、子どもたちのために寄付されます。子どもたちも、さゆりちゃんの歌に、大喜びでした。サトルさんは、「えんどう豆」のキーホルダーを、携帯電話に付けていてくれて、うれしかったなぁ。でも、一番は、ミュージシャンが本気で、相馬を応援してくれていることが、うれしかった。(うれしかったので、後ろの看板、描かせてもらいました。)


警戒区域が解除されても....。

  • 2012.05.01 Tuesday
  • 23:57


 福島第一原子力発電所から20キロ圏内の警戒区域が解除され、南相馬市の小高区へ入って行くことができるようになった。えんどう豆を支援してくれている「MY LIFE IS MY MESSAGE」というプロジェクトでお世話になっている山口洋さん、渡辺圭一さんたちが南相馬に来てくれて、現状を知ってもらうために、小高区に入った。

 正直、震災後、地震と津波の被害の光景を見ることはつらくて、写真はほとんど撮っていない。自分のふるさとが、がれきになったり、何もなくなってしまっている状況を、客観的にみることができなかったためだ。でも、あれから1年が過ぎ、前を向いて行かなければならない時期になっているように思えて、現地の人間として、伝えることも必要であると思い、同行することにした。




 住民が数千人の小高の街には人影がなかった。原発事故が起きて、南相馬からほとんどの人が避難した3月20日頃のことを思い出す。信号だけが動いていて、まるで映画のセットのようなSFのような光景。小高に住む養護学校に子どもを通わせているお友だちが、不気味で住めないと言っていたが、その通りだった。どうして警戒区域を解除したのだろうか?と思うが、市は住民が戻って復興させるため、国は余計なお金を出したくないためだろうか?街に住む人の気持ちを考えると、胸が詰まって言葉にならない。





 海岸線から5キロは離れているだろうか。市街地の方まで津波は押し寄せている。海の近くにあった車は、押しつぶされていて、まだ原型を留めている車は、津波で運ばれてきたものだ。警察が入って、瓦礫は片づけられたが、所有者が避難している車は、所有権のことがあって片づけができないようだ。1年前の事がフィードバックし、胸が苦しくなる。




 津波で被災した海岸の近くにある集落は、コンクリートの基礎だけが残って、庭の花が咲いていた。住民のおじさんが犬を連れて、軽トラで、自宅付近の片づけをしに来ていた。そこにどんな物語があったのだろうか、過去の記憶と、未来まで失って見えるのだけれど、人はそれでも前を向いて動き出す。津波に被害にあった所は、瓦礫は片づけられ、人間のたくましさを見ることができた。でも、小高はどうなのだろうか?人が住める環境として、再生ができるのだろうか?

 そこは地盤沈下で、数キロさきまで、海水が入ったままで、浦のようになっていた。壊された建物は揚水ポンプ場で、もともと地盤は低いと思われるが、それでも原発事故さえなければ、農地を取り戻したことだろう。ここでは、時間が止まっているように見える。1年前にあった事故を他人事のように、原発を稼働しようとする人々。見てるとつらいです。人間ってそんなに愚かな動物なのでしょうか。被災地ツアーという言葉は嫌いですが、原発の近くに住んでいる人には、見に来て感じて、答えを出してほしいと思うのです。




 
 

 それでも季節は流れ、人は生きていきます。自分の人生もちっぽけな花のようなものなのかなぁと思いながら、えんどう豆に戻ってきました。きれない花ではないけれど、日々、家族やえんどう豆の人たちと、幸せに暮らせたらと思うのです。

鯉のぼり

  • 2012.04.27 Friday
  • 23:46
 

 シラスのような白い布に、お絵かきして、鯉のぼりをつくりました。仮設住宅でのイベントに使うそうです。オリジナリティある鯉のぼりができました。この日は、鹿児島から来たTさんのボランティア最後の日なので、えんどう豆のテーマソング、オブラディオブラダも歌いました。仕事もして、中身の濃い一日になりました。

 Tさんの仕事は、ホームヘルプなのですが、重度の障がいを持つ人の生活を支える仕事だそうです。睡眠時間も3時間ほどの命を守る仕事と聞いて、びっくりしました。温かくて、お母さんという代名詞がぴったりの方です。主婦のプロで、南相馬で、寝泊まりしているぴーなっつ(生活介護)では、毎日、手作りのおいしい食事が出されたという話です。最終日、私もお邪魔してきました。家庭的で愛情を感じる手料理が、次から次と出てきました。ありがとう、Tさん。